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「成長した姿を見せてやれないつらさ」妻を失った男性の哀切 熱海土石流直前に誕生の孫は3歳に 静岡

土石流で亡くなった田中路子さん(2021年6月撮影)

2021年7月に静岡県熱海市で発生した土石流で妻を失った男性は、亡くなる1週間前に撮影した妻と生まれたばかりの孫の写真を大切にしている。発災から3年が経ち、孫は3歳になった。男性は「孫を見ると、成長した姿を見せてやれないつらさを感じる」と妻をしのぶ。

72年暮らした家が流され…

土石流が襲った熱海市伊豆山地区(2021年7月)

2021年7月3日に静岡県熱海市で発生した大規模な土石流では災害関連死を含め28人が犠牲になった。

この災害で妻を亡くしたのが、土石流が流れ下った伊豆山地区に住む田中公一さん(74)だ。

まもなく3年を迎える2024年6月下旬、田中さんと自宅があった場所を訪れた。

田中さんは「(ここに来ると)家のことを思い出す。ここでの生活が72年あるから」と話す。生まれてからずっと暮らしてきた家だった。

友人を気遣い外出中に妻が被災

妻との写真を見せる田中さん(2021年7月)

記者が田中さんと初めて会ったのは2021年7月4日、土石流が流れ下った日の翌日のこと。自宅が土石流に襲われ、妻・路子さん(当時70)の安否がわかっていなかった。

発災当時、自宅には路子さんが1人でいた。

路子さんの友達の家が田中さん宅よりも山側にあり、土石流の心配があたったため田中さんは車で状況を見に行っていた。

こうした中、田中さんが自宅を出て20分後の午前11時過ぎに土石流が流れ下る。

妻・路子さんは自宅で被災

田中さんは「やっと子育てが終わって孫もできて、親の役目が終わったかなという話を女房としていた。『どこかで生きていてくれ』という淡い望みは今でもあるよ」と心境を話していた。

しかし、願いは届かず妻・路子さんは発災から5日後の7月8日に遺体で見つかる。

孫が折った紙飛行機で空へ

田中公一さんの自宅

葬儀の際、棺には孫が折った紙飛行機が入れられた。

田中さんは「多分、女房も孫が作った紙飛行機で空へ行ったと思います。棺の中に(紙飛行機を)入れて、火葬場の駐車場から煙を見ていたら、3歳児(の孫)がそう言ったそうです。だからありがたいなと」と話し、葬儀での孫の言葉を大切にしていた。

被災地で自宅新築 妻を思う日々

見つかった表札を新築の自宅に

市営住宅に身を寄せていた田中さんは妻と長年過ごした伊豆山に住み続けることを決意。2023年秋から新しく建てた家に住み始めた。

表札は元の自宅にかけてあったもので、これは被災現場で見つかった。

田中さんは「何年住めるかわからないけど、ここに建てようと思った。俺にとっては安住の地。友達も寄ってくれるし」と伊豆山に住み続ける理由を話す。

孫を抱く路子さん(2021年6月撮影)

県外に住む家族が家に来てにぎやかに過ごす日もあるが、そんな時にふとあの日のことや路子さんのことを思い出すという。

田中公一さん:
(妻が)亡くなる1週間前に抱いていた孫が3歳になった。そういう姿を見せてやれない寂しさというかつらさ、孫を見るとそう思うよね。「孫と子どものことはあなたに任せたよ」というメッセージがある気もする

田中さんは周囲から「前向きに動いている」とよく言われるそうだが、「自分にそういうつもりはない」と話す。

「穏やかに暮らせる場所にしてほしい」

自宅跡は手つかずのまま(2024年6月)

以前自宅があった場所は2023年9月に警戒区域としての規制が解除され、自由に入ることができるようになった。

しかし、周辺の復興が進まないことが、田中さんや被災者が前を向き切れない理由の1つとなっている。

静岡県や熱海市が行う河川や道路の工事は当初の予定より遅れが生じていて、復興の先行きも見えていない。

自宅跡の焼香台で祈る田中さん

田中公一さん:
見た通り、何にも進まない。いつになったら(工事を)始めるのかわからない。いつまでもこの状態では“宙ぶらりん”ですよね。歳だけは確実にとるから、なんか置き去りにされていく、そう感じても仕方ない。穏やかに暮らせる場所にしてほしい

発災から何年経っても、被災者が感じた悲しみがなくなることはない。それでも、1日でも早い復興が求められる。

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