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難読地名を探れば歴史が見える。今回は、浜松市中央区の「蜆塚」です。虫に見ると書いて「シジミ」。その由来は縄文時代の暮らしにまで遡ることが分かりました。
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地元住民にはおなじみの地名
訪れたのは浜松市中央区にある蜆塚(シジミヅカ)です。
静岡県西部に住んでいる人なら読み方がわかるのか。まずは近くの住民に聞いてみました。
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地元住民:
シジミですね。え?なんで?
地元の人からすると当たり前の地名、蜆塚。「虫へん」に「見る」と書いて「シジミです」。
その由来を知っているか別の住民に尋ねてみました。
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別の住民:
蜆塚遺跡があって博物館もあります
どうやら近くに蜆塚遺跡なる縄文時代の遺跡と博物館があるそうです。
「シジミ」は名産なのでしょうか?
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総菜・弁当店の知久屋で聞き込みを行いましたが、シジミ料理は扱っていないとのこと。シジミは名産品ではないようです。
博物館でシジミの貝塚を発見
謎を解くため、浜松市博物館に向かいました。
博物館の入り口ではシジミの見た目をしたキャラクター「シジ丸」が迎えてくれました。
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博物館の中を鈴木一有 館長に案内してもらいました。
ナウマンゾウの化石も展示されている館内を進むと、なにやら貝殻がたくさん集まった展示を発見。
浜松市博物館・鈴木一有 館長:
貝殻は90%以上シジミで、縄文時代の貝塚です
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蜆塚の由来はその名の通り、シジミの貝殻でできた貝塚がこの地にあったからでした。
江戸時代から蜆塚と呼ばれていたそうです。
博物館裏にある現在の蜆塚公園では1955年から4度にわたって発掘調査が行われ、なんと四カ所もの貝塚が見つかったそうです。
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浜松市博物館・鈴木 館長:
3000年~4000年前の縄文時代のヤマトシジミなんですが、大ぶりだったようです。もちろんシジミを食べていました。すぐ近くにある佐鳴湖に今よりも海水が入り込んでいた環境で、シジミがいっぱい生息していてそれをたくさん取ってきたと
物々交換に使われていた可能性も
物々交換にも使われていたかもしれないというシジミ。交易の証拠が博物館に残っていました。
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その証拠は翡翠(ひすい)です。新潟と富山の県境にある糸魚川でしか産出しない貴重な石が、蜆塚遺跡から発掘されたそうです。
以前は蜆塚地区の食卓にも上がっていたという佐鳴湖の「シジミ」。
今は水質の問題でとっていませんが、復活させようという動きもあり、近い将来、また食べられる日がくるかもしれません。
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難読地名の裏に歴史あり。浜松の人には楽勝だった「蜆塚(シジミヅカ)」は、縄文時代にシジミが生息していた佐鳴湖、そしてシジミの貝塚に関係している地名でした。
■施設名 浜松市博物館
■住所 浜松市中央区蜆塚4ー22ー1
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