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世界中が熱狂するサッカーW杯の決勝で日本人が主審を務めること。これは度重なるケガでプロ選手になることを断念した高校生が抱く大きな夢だ。今はまだ都道府県主催の試合の審判ができる3級だが、1級の中でも特に選抜された「国際審判員」を目指している。
高校生審判は年上にも毅然として
東海大静岡翔洋高校3年の小澤拓夢(たくみ)さん、17歳。彼の夢はサッカーW杯の審判をすることだ。
ピッチに立てば年齢は関係ない。
取材した日は静岡市で行われた県シニアリーグの試合で審判を務め、「アウトです!アウトです!」「ダメです。(手を)使いません!使いません!」など、一回りも二回りも年上の選手たちを冷静に毅然とした態度で裁いていた。
サッカーの審判の階級は全部で4つ。小澤さんは都道府県が主催する全ての試合を担当できる3級を取得していて、1級は主にJリーグを担当する。
W杯のピッチに立つことができるのは1級の中でも更に選抜された「国際審判員」で、2024年5月時点で日本にわずか24人しかいない。狭き門だが、W杯の審判を目指す彼にとっては避けては通れない関門だ。
試合中の走行距離は選手以上
自分が裁いた試合は常に録画を見て反省する。
小澤さんは「この時点で(ボールを受けた選手の)後ろにポジショニングをとってしまっているので、そこまでにスピードを緩めるのではなくて、もう少し(外側を)回って(ボールを受けた選手の)横に来たかった。後ろからだと接触があった時にファールがわかりにくくなってしまうので」と、自分の動きを指さしながら解説してくれた。
プレーの妨げにならずにファウルや警告、退場のジャッジを正確に下すために…審判ならではの“ポジショニング”はまだまだ発展途上だ。
1試合を通して正しく試合をコントロールするのは決して簡単なことではない。
90分間の走行距離は選手以上に長く、Jリーグの主審では平均13kmも走る。
頭と身体をフル回転させる過酷な役割だが、だからこそのやりがいも感じるという。
小澤さんは「選手の皆さんから『ナイスジャッジ』といわれると審判をしていて良かったと思う」と笑顔を見せる。
骨折7回 プロ選手断念
なぜここまで審判にのめり込むようになったのか?
小澤さんが5歳の時、兄の影響でサッカーを始め、もちろん選手としてプロを目指してきた。ただ、彼の競技人生は常に挫折の連続だった。小中学校と何度もケガに悩まされたからだ。
そして、高校入学後もすぐに左足首を骨折。骨折は人生で7度目で、繰り返されるリハビリ生活に心が折れそうになった。
小澤さんは「高校でケガをしてプレーできないもどかしさがあった。一日一日が苦しかった。どこかでプロサッカー選手の夢とは決別しないといけないと思っていて」と振り返る。
本気でサッカーと向き合える場所
そんな彼に転機が訪れたのは高校1年生の夏。
中学時代にチームの方針で、少年サッカーなどを担当できる4級の資格を取得していたことで、2022年に磐田市で開催された12歳以下の国際大会に審判として白羽の矢が立った。
東海大静岡翔洋高校3年・小澤拓夢さん:
(仲間の審判が)他の人のレフェリングに対してフィードバックを入れたり「自分だったらこうする」と話していて、その会話に入って楽しいなと思った
新たな立場でピッチに足を踏み入れて感じた審判を志す仲間たちの飽くなき向上心。
度重なるケガで諦めかけていた本気でサッカーに向き合える場所との出会いが、彼の人生を変えた。
夢はW杯決勝で主審
その後、現在の3級に到達すると、2024年に入り高校サッカーの新人戦など公式戦でも主審を務めあげた実績が評価され、3月には静岡県内でたった2人のポルトガルでの研修メンバーに選出されるなど、着実にキャリアを積み重ねている。
静岡県サッカー協会の望月省吾ユース部長は「立ち振る舞いも大人に近づいていますし、自分の意志でやっていこうという積極性がある」と評価する。
彼が審判をする上で最も大切にしているのは選手とのコミュニケーションだ。
国際試合を裁くとなれば、英語やポルトガル語などの言語スキルも重要なだけに努力も惜しまない。
東海大静岡翔洋高校3年・小澤拓夢さん:
最終的な目標はW杯決勝で主審をすること。(今は)いろいろな練習試合や公式戦を経験させてもらって、自分の審判像というものをもっともっと深くまで突き詰めていきたい
さらに経験を積んで、大学ではもっと上の資格を…。そして、いつの日か憧れのW杯へ!
挫折を乗り越えた先に広がる“第二のサッカー人生”で、その夢をつかむ。