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タレントの勝俣州和さんが、笑いの持つ癒しの力について語りました。笑いの力を教えてくれたのはテレビ界の恩師である萩本欽一さんです。二回り上の恩師の背中を追い続ける思いとは。

テレビ静岡で2025年6月1日に放送されたテレビ寺子屋では、タレントの勝俣州和さんが「僕を育てた 縁と笑い」をテーマに、芸能界での経験や人生観を語りました。
子供の頃からテレビに魅了されて
タレント・勝俣州和さん:
僕は小学生のころから一番好きだったのがテレビ。なかでもドリフターズ、カトちゃんが好きでした。親に怒られた後もドリフを見たら大笑いできる、大きくなって彼女ができて失恋してもテレビ見ると大笑いできる。その大好きなテレビの中の世界に入りたい、それが僕の夢だったんです。

きっかけになったのは萩本欽一さんの番組のオーディションでした。半年前からのオーディションを経て無事デビューとなりました。
「かっちゃん」という呼び方も欽ちゃんがつけてくれたんです。それから30年以上テレビの中で仕事をさせていただいています。
恩師・欽ちゃんの背中を追い続けて
僕は巳年なんですけど、欽ちゃんも巳年で二回り上。僕は還暦。欽ちゃんは80歳を越えましたが今でも舞台をやっています。
2025年のお正月も欽ちゃんと2人でテレビ番組をやりました。2回り上の欽ちゃんがまだ飛んだり跳ねたりしてるんですから、僕が休むわけにいかないですよね。

これはとても嬉しいことで、ずっと欽ちゃんの背中を追っていける。僕には「いつか欽ちゃんのようになれたらいいな」という目標があったから。
もう30年以上前からある目標なので、その人がちゃんと走っててくれるっていうのは幸せですね。
「笑い」の持つ癒しの力
自分の親父が病気で入院した時、お医者さんに聞かれたことがあります。
「勝俣さん、重い病気の入院患者さんがみんな何を見ているか知ってますか?」と。
その答えは「バラエティ番組を見ている」でした。「もう治らないかもしれないっていう人たちが奇跡的に回復することがある。その人たちに共通することは、バラエティ番組を見てよく笑ってた」と。

その時にお医者さんから「だからぜひ勝俣さん、質の良い笑いをテレビから届けてください」と言われました。「笑い」には力があるんだと強く感じた出来事でした。
「バラエティ番組で日本中の人を明るく」
テレビの世界に入って、僕はすてきな人たちにいっぱい出会いました。そしてテレビを支えてきたそのすてきな方々から人生の教えをいただきました。実際に会ってお話を伺うことが多いので、すてきな話とか名言とかは昔から書き留めているんです。

最後に、僕がすごく大切にしている、萩本欽一さんの言葉を紹介します。
「エジソンは電球を発明して世界中の人を明るくした。だから僕はバラエティ番組で日本中の人を明るくしたい」
僕も萩本欽一に少しでも近づけるように、皆さんに質の良い笑いを届けていきたいと思います。

勝俣州和:1965年生まれ。静岡県出身。1988年、番組オーディションを経て芸能界デビュー。アイドルグループCHA-CHAの一員としても活動。現在はバラエティ、情報番組など多方面で活躍。
※この記事は2025年6月1日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
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