ひと

「ある日バッハを聞いて突然描き出した」元焼き肉店主の運命の日【超老芸術 #2】

小さな模様を隙間なく描き続ける男性。60歳のある日、バッハの「マタイ受難曲」がラジオから流れた瞬間、絵に目覚めたそうです。「存在するもの全部に色を付けたくなっちゃう」。この情熱はどこから来るのでしょうか。

捨てられていたパラソルの重りにもびっしりと描き込む

高齢になってから突如アートの才能を爆発させる人、高齢になっても情熱が枯れるどころか、より激しさを増して創作活動に没頭する人を「超老芸術家」と呼びます。

【超老芸術#1】芸術に目覚める高齢者 知られざる「超老芸術」の世界 レジェンド大集合の展覧会

テレしずWasabeeは超老芸術の名付け親でアーツカウンシルしずおかの櫛野展正さんが発掘した、プロではないが、もっと光があたるべき人たちをシリーズで紹介します。

靴までびっしり描かれた模様

静岡市駿河区で開かれた展覧会で会った本田照男さん(77)は、作品の横に置かれたイスに座りながら、ハガギに模様を描き続けていました。

本田照男さん:
木や石、壁、洋服でも白いスペースがあれば描きたくなっちゃう。描かずにはいられない

そう話すと、その絵にすらすらと連絡先を書き加え、名刺の代わりに渡してくれました。ふと足下を見ると靴にも隅々までびっしり絵が描かれています。

閉店した焼き肉店の中は・・・

本田さんは長年、静岡・沼津市で焼き肉店「本田苑」を営んでいました。

閉店が急だったのでしょうか、店を訪れるとガラスには客へのメッセージが貼られていました。

絵を描く事にハマりこんでしまい毎日毎日絵を描いています。

絵を描くことが楽しいのです。

本田苑 心配してくださってありがたいです。

本田さんいわく、「絵を描きたくて、焼き肉どころじゃなくなった」。

店内には作品が崩れそうなほど積まれていました。

笑いながら出迎え、正面の入り口からは入れないのでと、横の扉に案内してくれます。

元客席だったスペースで、本田さんは絵を描いています。

天井から下がる排煙機で、ようやく焼き肉店のそれとわかるほど作品で埋まった部屋で、起きているほとんどの時間を絵に投じています。

本田照男さん:
昼に起きてすぐ描き始めると、気持ちがすっと安定する。絵を描くための最低限度の栄養補給で、卵とご飯とのりと青魚があれば十分。朝の3時まで描いて寝るんですが、午前2過ぎに異世界に入っていくような錯覚を覚えます。静かで宇宙に1人になったような気分になり、年に何回か違った絵が描けることもあります

マタイ受難曲を聴きながら描く本田さん

バッハが流れ 突然絵に目覚めた日

本田さんは子供の頃から絵が得意だったわけでも、美術の学校に通っていたわけでもありません。

はじまりの、本当に本当に奇妙な体験を話してくれました。

本田照男さん:
60歳の頃、店を終えた後に友人にハガキを書いていたら、バッハの「マタイ受難曲」がラジオから流れてきました。その瞬間、なぜかわからないけれど絵を描きたいという気持ちになったんです。涙が止まらなくなりました

その時に描いた「最初の1枚」を再現 ボールペンで書いた曲線だった

そのハガキをそのまま友人に送ると、「面白い絵だから、描き続けてみてはどうか」とピカソやマチスの画集を贈ってくれました。

本田照男さん:
「おまえの絵を見て母の胎内にいたときが思い浮かんだ」と言われたんです。友人の母親は東京大空襲で逃げる途中に病院に逃げ込み、友人はそこで生まれました

代表作の富士山


描き方は独学で編み出しました。マーカーペンやボールペン、油絵の具やチョークで描くこともあるそうです。生まれ育った西伊豆町を思い出し、漁船や魚がモチーフになることもあります。

図形や線が基本となり、魚や船も描き込まれている

(Q.絵に共通のテーマはありますか)
本田さん:
平和じゃないと絵が描けない。差別があると平和を保てない。絵も音楽もみんなの前に平等なんです。そういう意味では「祈り」かもしれません

これだけの情熱はどこから来るのでしょうか。

差別や離婚を経て

小学校のころ、周囲の視線がきついと感じていたものの、それが「差別」だと知ったのはもっと大きくなってからでした。本田さんの父は韓国人でした。

無造作に立てかけられた絵を見せてくれる本田さん

「人間は平等なはずだ」と大学で法律を学びますが、弁護士になることはできず、就職も思うようにいかない。

さらに家業の失敗で若くして借金を背負った本田さんは、当時はまだ少なかった焼き肉店を始めます。兄弟たちと懸命に働き、店は繁盛しました。

店内にいまでも掛かっている焼き肉店の看板

しかし、妻が交通事故に遭ったのをきっかけに「夢だった英語の勉強をしたい、暇をください」と言われ、離婚することになりました。

本田さん:
さみしい思いと、にっちもさっちもいかない精神的につらい状況です。差別を受けて死にたいと考えたこともありました

しかし、神の啓示を受けたかのような、あの日以来全てが変わりました。「生きているうちに少しでも多くの作品を描きたい」。

不思議な生き物や植物も描かれている

本田さんについて、「超老芸術」の名付け親、櫛野展正さんはこう分析します。

アーツカウンシルしずおか・櫛野展正さん:
宿命に出会った時に閉じこもったりせず、自分を取り戻すために作品作りに打ち込んでいる。作品を作ることが「回復」になっているのではないかと思います

第四コーナーを回った先の希望

本田さんの手にかかると子供の上履きがアートになる

元焼き肉店のギャラリーは事前に連絡があれば、一般の人にも公開しています。もしかしたら、本田さんから絵を描くようにすすめられるかもしれません。

本田さんはみんなにも同じように絵を描いて欲しいと思っています。自分のように丸や三角や四角を描くだけでも、楽しい気分になれることを多くの人に伝えたいと話します。

本田さん:
私は残り時間が、第四コーナーをまわって死が直前。絵では食べられないけれど、後に続く人に勇気を与えられたらいい

本田さんの生き方が、まるで作品のような色彩豊かな希望として、苦しさを抱えている人の力になるのではないでしょうか。

テレしずWasabeeは今後もシリーズで静岡県内に住む超老芸術家を紹介します。

■店名 ギャラリー木耳
■住所 静岡県沼津市宮町94
■連絡先 0559-62-9800(15:00以降にかけてください。夜でも可。長めにコールしてもらえると助かるそうです)

■イベント名 Love and Peace with out 小さな小屋で小さな祈りを~本田照男の世界展~
■会場 Garden Cafe ひとやすみの庭
■住所 静岡県小山町菅沼855-2
■期間 前半・5月3~14日(9~11日除く)
    後半・5月19~30日(23~25日除く)
■時間 11:00~16:00
■連絡先 0550-76-7272
■入場無料
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