テレビ寺子屋で講演する加藤登紀子さん
健やか

加藤登紀子さんが語る夫との出会い「空の下で歌ってくれたのが『知床旅情』でした」【テレビ寺子屋】

歌手・加藤登紀子さんの代表曲「知床旅情」。それは、後に夫となる藤本敏夫さんが、加藤さんに出会ったときに歌った曲でした。それから長い年月が過ぎ、意外な巡り会いから藤本さんが知床旅情をあの時に歌った思いが明らかになります。

左)テレビ静岡・北村花絵アナウンサー 右)歌手・加藤登紀子さん

知床旅情は多くの歌手に歌われてきた名曲で、加藤登紀子さんがカバーした際は特に大ヒットしました。

テレビ静岡で6月21日に放送されたテレビ寺子屋では、加藤さんが、夫・藤本敏夫さんとの出会いと、代表曲「知床旅情」に秘められた深い物語を語りました。

学生運動のリーダーと予期せぬ出会い

歌手・加藤登紀子さん:
私の人生には「ま・さ・か」の出会いが数多くありますが、その中でも一番の「ま・さ・か」は夫との出会いです。

1968年3月に私は東京大学を卒業しました。当時は世界中で学生運動が起こり、東大でも卒業式が中止になったのです。

イメージ画像:学生運動

すでにプロの歌手になって3年目を迎えた私のところに、学生運動のリーダーが会いに来ました。これが後に夫となる藤本敏夫です。

「学生の集会に来て歌ってください」と彼にお願いされましたが、「プロの歌手を政治的な場所で利用するのはよくない」と私は断りました。すると彼は「その通りですね」とあっさり帰って行ったのです。

空の下で歌われた「知床旅情」との出会い

もう会うことはないだろうと思っていたら、数日後、彼から「2人だけで会おう」と電話がかかってきました。

講演をする加藤登紀子さん

食事をして、政治や学生運動ではない、別のことを語り合いました。そして別れ際、空の下で藤本が歌ってくれたのが「知床旅情」でした。

知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちの事を

イメージ画像:知床・羅臼灯台

遥か昔のことを愛おしむようなその歌に、私は「歌でこんなにもすごいことが伝わるのか」と驚き、涙を流しました。それが私と「知床旅情」との出会いです。

彼がどこでこの歌を知り、どんな思いで歌ったのか詳しくは分かりませんでした。

ところが、彼がこの世を去って24年目の2025年、「ま・さ・か」の出会いが待っていたのです。

24年後に明かされた知床旅情の“ルーツ”

歌手活動60周年のコンサートで岡山へ行った時、番組収録のため長島愛生園というハンセン病の隔離施設だった場所を訪れました。そこにいたひとりの男性が、私に会うなりこう言いました。

テレビ寺子屋で講演する加藤さん

「登紀子さん、この話だけはあなたに伝えなくちゃと思っていたんだよ。昔ね、同志社大学の学生が来て、ハンセン病の人が自由に泊まれる家を建てようと言ってくれて、この愛生園からも奈良へみんなで行って、学生たちと一緒にブロックを積んでひとつずつ自分たちの手で作ったんだ。あんなに素晴らしいことはなかった、あんなにうれしいことはなかったよ。そしてその時、一日の最後に必ずみんなで肩を組んで歌ったのが『知床旅情』だったんだ。」

私は驚きで震えそうになりました。藤本が同志社大学1年生の時、彼が所属するゼミの教授とともに奈良にハンセン病の人が自由に泊まれる「交流(むすび)の家」を建てたことは聞いていました。

こうして私は、あの日彼が歌った「知床旅情」のルーツと、そこに込められた思いを知ったのです。

テレビ寺子屋で講演する加藤登紀子さん

加藤登紀子:1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「知床旅情」はレコード大賞歌唱賞を受賞。現在も、国内外のコンサートで観客を魅了し続けている。

※この記事は6月21日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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