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デビュー50年で達成した夢 さだまさしさん語る「なつかしい未来」【テレビ寺子屋】

さだまさしさんのアルバムタイトルに「なつかしい未来」があります。さださんがデビュー50年目の日にうかんだ言葉です。それは何を意味するのか、親交がある医師の鎌田實さんとさださんが語りました。

11月5日に放送されたテレビ寺子屋 北村花絵アナウンサー

北村花絵アナウンサー:
さだまさしさんは1972年にグレープを結成。デビュー50周年を迎えられました。医師で作家の鎌田實さんは諏訪の地で50年、いのちに寄り添ってこられました。ともに50年の節目を迎えた二人が「なつかしい未来」をテーマにお話しします。

「なつかしい未来」の意味

医師・作家 鎌田實さん:
デビュー50周年、おめでとうございます。アルバムやコンサートツアーのタイトルにもなっている「なつかしい未来」。これはどういった意味か教えてもらえますか。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
グレープを結成してちょうど50年の日に、神田共立講堂を借りてグレープのコンサートをしました。精霊流しのイントロが流れた時、「あぁ、あのころより歌もギターも上手くなっている。グレープのたどり着きたかった場所はここだ」と思ったんです。その瞬間、「なつかしい未来」という言葉がうかんできました。

かつての夢が達成された時に、僕は「なつかしい未来」という言葉を使った。なつかしいには、「ありがたい」も込めています。「なつかしい未来」ってみんなの心の中にあると思うんです。

貧しくても医師に

医師・作家 鎌田實さん:
僕は東京出身だけれど、医師としてこの諏訪の地に来てもうすぐ50年になります。僕の家は貧しくて、大学に進学したかったけれど父親からは働けと言われました。でも最後は理解してくれて医学部に行く事ができた。

貧乏だったから、いろんな人に助けてもらって医者になれました。誰かのおかげで自分は生きてこれたんだから、少し生きていけるようになったら、誰かの役に立つことが大事なのかなと思ったんです。それで医師の少ない地域、赤字の諏訪中央病院に来ました。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
鎌田先生は最初に医者になろうと思った時のイメージ通りに生きてきたんだと思います。

いい歌とヒット曲は違う

僕の頭のなかには「歌づくり」という夢があります。いい歌をつくるためにこの仕事をしてる。じゃあ、いい歌ってなんだろうって考えると、ヒット曲とは違うんですよね。

ポール・サイモンが僕にくれた言葉にこんなものがあります。

「音楽は生まれた瞬間が芸術で、あとは生まれた瞬間の感動をお客さんと共有したくてライブをやっている。音楽は過去に向かって進行している。生まれた場所に向かって常に働きかける」

ヒット曲は、「過去に連れ戻してくれる素晴らしい座標のひとつ」だからとても大事なんだけれど、それとは別に自分の懐のなかに置いておきたい歌ってあると思います。これは名曲とは限りません。

大した曲じゃないんだけれど口ずさんでいる歌。誰かの心の中で鳴っているメロディを探し当てて、歌にしてあげることで誰かの心に届く。僕が居なくなっても、その歌を誰が作ったか知らなくても、口ずさんでくれるかもしれない。その「かもしれない」歌を1曲つくりたいですね。

鎌田實:1948年東京生まれ。諏訪中央病院名誉院長。地域医療に携わる傍ら、被災地支援にも取り組む。

さだまさし:1973年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。 1976年ソロ活動開始。コンサートは通算4600回を超える。

※この記事は11月5日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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