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実は静岡市に、沖縄と縁が深いお寺が存在しています。はるか2000kmも離れた沖縄と静岡を結ぶ意外な関係は「琉球王子」にありました。真相を調査しました。
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沖縄とのつながり、ということで手掛かりをつかむため、まず訪れたのは静岡市にある沖縄県のアンテナショップ「わした静岡店」。
店長の伊波里紗さんに話を聞きました。
沖縄とゆかりがあるお寺とはずばり「清見寺(せいけんじ)」だそうです。
わした静岡店・伊波里紗 店長:
清見寺には具志頭(ぐしちゃん)王子のお墓があります
沖縄らしい名前の王子ですが、いったいどんな経緯で、ここ静岡にお墓がつくられたのでしょうか。
琉球王子のお墓を発見
早速、清水区興津にある清見寺を訪ねました。
創建は1300年前の奈良時代と伝わる静岡県を代表する古刹です。
駿府で人質時代を過ごしていた幼い徳川家康が、当時の寺の住職「太原雪斎(たいげんせっさい)」から教育を受けていたことでも知られ、江戸時代を通じて幕府から大切にされた由緒あるお寺です。
清見寺専属のボランティアガイド、伏見鑛作さんに案内してもらいます。
王子の墓は立派な五輪塔で、清見寺の裏山にあるということです。
裏山を登ること5分、たしかに琉球の王子、具志頭王子の墓がありました。
墓石は2つあり、1つは1610年に建立されたもの。もう1つは直系の子孫である宜野湾王子が、180年後の1790年に新調したものです。
病に倒れた王子
琉球は1609年、島津(薩摩藩)に侵攻され降伏しました。
そこで徳川に従う意志を示すため、薩摩藩主・島津家久、琉球国王・尚寧王、国王の弟である具志頭王子の一行が江戸を目指しました。
島津に侵攻された翌年の1610年、琉球王朝の一行は船で薩摩、現在の鹿児島に渡り、九州の西側を経て瀬戸内海へ。淀川を上り、京都伏見から東海道を歩いて江戸を目指したと言います。
その距離片道2000km以上。
清見寺ボランティアガイド・伏見鑛作さん:
具志頭王子が島津と琉球の間を取り持っていました。具志頭王子は駿府城で家康に謁見し、目的を1つ達成した後に病に倒れたと推測されています
江戸を目前に、病に倒れた具志頭王子。
不憫に思った家康は、当時、海が良く見えたであろうこの地に、王子を埋葬するよう命じました。
お墓ができて以来、静岡と沖縄の交流はずっと続いています。
没後400年にあたる2010年には、沖縄県から130人の一行が清見寺を訪れ、法要を行いました。
地元興津の人は具志頭王子のことを「琉球さん」と愛着を込めて呼び、沖縄の人達は「駿河王子」と呼んでいるそうです。
「末永くお世話になります」
本堂に具志頭王子ゆかりの品があるということで、案内してもらいました。
それが、宜野湾王子が寄進した扁額です。「永世孝亨(えいせいこうきょう)」という文字には、先祖の供養をしてくれた清見寺に対し、「これからも末永くお世話になります」というお礼の意味が込められているそうです。
具志頭王子の法要は地元清水の企業を中心に現在も行われています。
2024年は9月6日に静岡市の難波市長や那覇商工会議所の金城克也 会頭などが参列し、琉球舞踊が奉納されました。
静岡と沖縄の意外なつながりを持った清見寺。琉球の未来のため、命を懸けたといっても過言ではない具志頭王子に思いを馳せて、歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
■スポット名 清見寺
■住所 静岡市清水区興津清見寺町418-1
■問合せ 054-369-0028
■志納金(見学) 大人300円 中高生200円 小学生 100円
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