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小児がんを患い、6歳で天国へ旅立った長女・景子さん。その短い命が輝き続けた日々を父・鈴木中人さんが語ります。「ありがとう」の言葉と今を生き抜く姿が残したものとは。
テレビ静岡で8月2日に放送されたテレビ寺子屋では、いのちをバトンタッチする会代表の鈴木中人さんが、3歳で小児がんを発症し6歳で亡くなった長女・景子さんとの日々を振り返りながら、いのちの輝きと「ありがとう」の大切さについて語りました。
3歳の夏に告げられた「小児がん」の疑い
私は愛知県で生まれ育ち、地元の会社に就職して社内結婚をしました。妻・淳子との間に長女が誕生し、景子と名付けました。その後、弟の康平も生まれ、どこにでもいる普通の家族として暮らしていました。
景子が3歳の夏。元気がなく、遊んでいてもすぐに座り込んでしまいます。病院に行くと「小児がんかもしれない」と告げられました。私はそれが現実だと思えず、何も感じることができませんでした。
入院前夜、私たちは景子に「お腹に悪い虫さんがいるから明日から入院だよ。でも、お父さんとお母さんがいつも一緒だから大丈夫」と伝えました。すると景子は「康ちゃんは?」と弟のことを心配するのです。それまで家族が一緒にいることは当たり前だと思っていましたが、その当たり前がどんなに素晴らしいことか、初めてわかりました。
「わたし、がんばったから」 涙とともに放たれた言葉
大学病院に入院し、手術をして抗がん剤治療が始まりました。ある日、「わたし、天国にいっちゃうの?」と景子が言いました。3歳の子供ですが、本能でわかるのです。痛みに耐え、治療が終わると「わたし、がんばったから」と言って涙をポロポロ流しました。
2年間の治療の末、「保育園へ行っていいよ」と医師から言われました。保育園では笑顔いっぱいで過ごしました。先生やお友達が普通の子供として接してくれたからです。そのおかげで景子は「私はみんなと同じ。病気は治る」と前向きに過ごすことができました。
治療終了後の検査では「異常なし」と言われ、普通の生活に戻れると信じていました。
しかし、最後の脳の検査で再発が判明します。病気は骨へ転移し、「余命数ヶ月」と告げられました。
6歳で天国へ 娘が教えてくれた大切なこと
4月、小学生になりました。景子は「お勉強がんばらなくちゃね!」と笑顔いっぱいで言います。
でも、入学式の前の晩、妻はランドセルの横で「こんな悲しい入学式はない」、そう言って涙を流しました。ランドセル、服、シューズ、鉛筆、ノート、全部ピカピカ。ただ、景子の体は病気に侵されている。入学式は子供にも家族にも明日への希望がいっぱいある。でも、景子にはその明日がありません。どうしようもないことでした。
やがて、ベッドから動けなくなっても景子は前向きな気持ちを忘れません。「宿題があるから起こして」と言い、何十分もかけてひらがなを書きました。「先生が『ちゃんと宿題やろうね』って言ってたよ。それにお勉強しないと次に学校行った時に困るでしょ」って。景子はできることを一生懸命やる、今を生き抜いている子供でした。
病気がさらに進み、景子は6歳で天国へ旅立ちました。葬儀では白いドレスを着せて、かつらとリボンを付けてブーケを持たせ、大好きだったお嫁さんの姿で送り出しました。

景子は私たちに大切なことを教えてくれました。
1つは、どんなに短くても一生懸命生き抜いたら命は輝くこと。その輝きは死んでもなくならないのです。
もう1つは「ありがとう」の大切さです。景子はつらい時も涙する時も、いつも「ありがとう」と言っていました。「ありがとう」をいっぱい伝えていれば、その分きっと幸せになれます。私は10年経って、やっとそう思えるようになりました。これからも、景子が生き抜いた小さな命の輝きが、誰かの心に受け継がれていくことを願っています。
鈴木中人:1957年生まれ。1992年、長女の小児がん発症を機に、小児がんの支援活動や「いのちの授業」等に取り組む。「いのちのバトンタッチ」をテーマに、いのちの輝き、家族の絆、生きる喜びなどを全国に発信している。
番組内で紹介した書籍:「6さいのおよめさん」 文:鈴木中人 絵:しろいあや(サンクチュアリ出版)
※この記事は8月2日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
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