相良油田
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静岡に油田があった? 探検「太平洋岸唯一の油田」明治石油産業をディープに追体験【牧之原・相良油田】

静岡にかつて大きな油田があったとは、しかも今でも原油が見られるとは思いませんでした。牧之原市にある「相良(さがら)油田」には、資料館や再現された採掘小屋があります。さらにディープゾーンへ。 ほとんど獣道を歩いて“最初の油田”も探検してきました。

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白い砂のビーチが広がる牧之原市

向かったのは静岡県中部に位置する牧之原市。

どんな場所かと言うと、駿河湾に面した白い砂浜が広がる海水浴場「さがらサンビーチ」があります。

南国の雰囲気「さがらサンビーチ」(牧之原市)

夏の時期ならアロハシャツで来るべきだったと思うような、南国の雰囲気がただよっています。

そんな牧之原市に太平洋岸唯一の油田がある、ということで早速調査に向かいます。

相良油田資料館で情報収集

さがらサンビーチから車で約10分内陸側に入ると、緑が深いエリアになります。

牧之原市菅ケ谷にある「相良油田の里公園」にやって来ました。

相良油田の里公園(牧之原市菅ヶ谷)・にむらあつとリポーター

まずは資料館で情報収集です。

油田のことを教えてくれるのは館長の大石勇二さんです。すてきな笑顔で迎えてくれました。

相良油田資料館・大石勇二 館長

80mを手掘り 特徴的な“つるはし”

大石館長によると、なんと80mもの深さの井戸を、人の手で掘って作業していたというから驚きです。

相良油田資料館・大石勇二館長:
明治5年に油が発見されたんです。当時の手掘りの井戸の模型がありますが、平均で80mの深さに人が潜って手で掘りながら作業していたんです

当時の手掘りの井戸の模型

当時使われていた本物の“つるはし”も展示されていました。

つるはしは、土や岩を掘り起こしたり砕いたりするための工具です。

にむらリポーターも実際に持たせてもらうことに。なんと重さは7㎏、想像以上に重いんです。

当時使われていた本物のつるはし

よく見ると一般的なつるはしと形が少し違います。

通常のつるはしは両側が尖っていますが、展示されているものは片側だけが尖っていました。

相良油田資料館・大石館長:
井戸の深さが10mより下になると、広さは90㎝四方です。中は狭いので、つるはしを振り上げてしまうと自分に当たるので、反対側はカットしてあるんです。つるはしの柄も短くしています

柄が短く片側のみ尖った手掘用つるはし

鏡の反射で井戸に光を送る

つるはしだけではなく、油田採掘にはいろいろな工夫がありました。

まずは明かり。80mの深い井戸の中は真っ暗です。どうやって作業していたのでしょうか。

太陽光を小屋の外と屋根の2枚の鏡に反射させて井戸の中に光を送っていた様子がわかる模型

相良油田資料館・大石館長:
採掘小屋の屋根の一部分が開閉式になっています。太陽光を小屋の外と屋根の鏡に反射させます。反射で日の光を地下の井戸の中に送っていたんです

鏡の反射を利用するとは、昔の人の知恵は素晴らしいです。

太陽光を小屋の外と屋根の2枚の鏡に反射させて井戸の中に光を送っていた

さらに、明かりをとる工夫があります。井戸の中で作業する人は特徴的な装備をしていました。

相良油田資料館・大石館長:
中の作業者は鉄のかさをかぶっていたんです。太陽光が上から当たると光が周りに分散するので、これを被った人が作業をしているとキラキラ光ります

鉄製の小笠は、石などの落下物から頭部を守るだけでなく、作業員の安否確認もできるすぐれものでした。

鉄製の小笠

採掘小屋で“たたら”を踏んでみよう

外に出ると、当時の様子を再現した採掘小屋も見学できます。

小屋の中にあったのは、井戸の底に空気を送るための“たたら”です。

当時の様子を再現した採掘小屋
再現された採掘小屋

たたらとは片足で板を両側から交互に踏んで風を送る装置で、採掘小屋では、それを体験できます。

片足で踏んで、また踏んでの繰り返し作業、空気を送るのにもこんな苦労がありました。

井戸の底に空気を送るためのたたら

相良油田資料館・大石館長:
新鮮な空気を送らないと、中の人が具合が悪くなってしまいます。大体1つの小屋で10名ぐらいが作業していました

そのうち4~8人でたたらを踏んで、空気を風樋に送り、坑内に新鮮な空気を送っていたんです。

油田採掘のために、皆それぞれの役割がありました。

4~8人で上下交互に踏んで、空気を風樋に送り、坑内に新鮮な空気を送っていた

相良油田資料館・大石館長:
こういう採掘小屋が240カ所ありました。総勢600人の人が働いてたんです。当時一番石油が採れた年では年間で720kl、ドラム缶で言うと3600本です

その当時、油田というのは相良の一大産業でした。

当時の写真

いまも残る石油坑が1カ所だけある

しかし安い外国産の原油に押され、昭和30年には完全廃坑しました。

今では公園から歩いてすぐの場所に、石油抗1カ所が残るのみです。

相良油田石油抗の看板

先ほどの手掘りの採掘小屋とは違い、鉄骨でできています。

相良油田資料館・大石館長:
ここは機械掘りの石油抗です。しかも、日本で初めて機械式採油を行った場所です

昭和25年に設置された小型ロータリー機による油井は、県指定文化財にも登録されています。

この相良油田は、日本の歴史において大事な場所でした。

日本初の機械式採油

鉄骨のやぐらの下にはドラム缶のような円筒形の容器があり、今でも油で光った液体が。

それもそのはず、いまだに石油が採掘できるのです。

相良油田

大石館長が2024年にくみ上げたという瓶に入った原油を見せてくれました。

予想外の色に驚きます。原油と聞くと、もっと真っ黒でドロッとしているイメージでした。

相良油田の原油

相良油田資料館・大石館長:
ガソリンの含有量が34%。灯油が34%です。石油ランプに入れるとすぐに火がつきます。通常の原油だと火はつかないんです

相良油田の原油はガソリンや灯油の成分が高いので、通常の原油と違って精製しなくても、そのままの状態で火が付くんです。

相良油田の原油は軽質なので精製しなくても発動機やオートバイを動かすことができる

オートバイを動かすことさえできてしまう、世界一良質だと言われる原油でした。

最初の発見地は獣道を進んだ先に

さらに大石館長から貴重な情報が。

少し離れた場所に油田が最初に発見された場所があるそうです。

相良油田の里公園とは国道473号線を挟んで、向かい側の山。

石油の発見地「深谷の油田」の看板

茶畑の中を進むと、「石油の発見地 深谷の油田」と書かれた看板を見つけました。

駐車場もなく私有地なので、今回は許可を得ての撮影です。

大石館長に「ここを降りて行きます」と言われましたが、想像以上の獣道でした。

深谷の油田の入口

長靴だけは絶対に履いてきてくださいと言われた意味が分かります。

大石館長とともに、何も舗装されていない過酷な山道へ。

舗装されていない山道を歩いていく

歩くこと約10分。また看板を見つけました。近くなってきた雰囲気がします。

相良油田資料館・大石館長:
あちらにあります。沢を越えた向こう側です

沢を渡るにむらリポーター

長靴がぐにゃっと土に埋まって足をとられる沢も渡りました。かなりぬかるんでいて、大石館長の言うとおり長靴は必須です。

ようやく到着した場所には水たまりがあり、大石館長が指し示す先には金属の筒が顔を出していました。

深谷の油田 発見地
深谷油田にある油井の跡

筒の中の液体には油が浮いています。

そして、今でも微かにブクブクとガスが出ています。

深谷の油田は太平洋岸で最初に見つかった油田で、5カ所の油井がありましたが産出量が少なかったため間もなく廃坑になったそうです。

深谷の油田

でもどうやって、ここに油があることが当時わかったのでしょうか。

相良油田資料館・大石館長:
ここに臭いにおいがする水が出ているのを見つけたんです。それでいろいろな場所で試し掘りが始まりました。相良の地区ではたくさんの油が出たので、そこで開発が始まりました

深谷の油田 案内してくれた大石館長とにむらリポーター

現在の島田市や御前崎市でも調査が行われたそうですが、実際にたっぷりと石油が採れるのは相良地区のみでした。

それほど、油田は貴重な資源でした。

明治の石油産業遺産が今も息づく場所

牧之原市にある相良油田は、かつて国内で盛んに石油が採掘されていた時代を知ることができる貴重な場所でした。

深谷の油田の見学はちょっとしんどい山道ですが、とってもロマンのある話です。当時の人々の知恵と努力を体感しに、ぜひ訪れてみてください。

ただし、原油をくむのは禁止ですので、お気を付けください。

■施設名 相良油田資料館(相良油田の里公園)
■住所 静岡県牧之原市菅ケ谷2525-1
■営業時間 9:00~16:00
■定休 火(祝日の場合は翌日)・年末年始
■問合せ 0548-87-2525

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