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「つつしんで遠ざかれ」 親鸞聖人が説いた人付き合いの極意とは 【テレビ寺子屋】

やられてもやり返さず、「つつしんで遠ざかれ」と説いた親鸞(しんらん)聖人。その考え方は現代の人付き合いにも役立ちます。僧侶の川村妙慶さんは親鸞聖人の教えのように、苦しいときに少し視点を変えることで生きやすくなると言います。

テレビ静岡で4月7日に放送された「テレビ寺子屋」

テレビ静岡で4月7日に放送された「テレビ寺子屋」では、僧侶でアナウンサーの川村妙慶さんが、一日一日を大切に生きるための考え方について語りました。

なんでも「私が」は苦しい

僧侶・川村妙慶さん:
私たちは、「子供が言うことを聞かない」「夫は私に優しくしてくれない」などと、自分を中心に子供や夫、妻や親などを考えがちです。

でも、視点をちょっと変えると、親と言われる人は子供がいるから初めて親になれ、夫がいてこそ妻と言われる。私たちは必ず自分以外にいろんな対象者があって、自分自身が位置づけられるわけです。

「私がしている」と、何でも「私が」が中心になってしまうと、これは実は苦しいことなのです。

同じ目線でしか生きられなくなる

人間は「思いながら」生きています。「家族には、私のことを聞いてほしいと思う」「これからも元気で長生きしたいと思う」「今日はここに行きたいと思う」そういった思いがあって、行動を起こします。

この思いの中には様々な経験もあり、良い経験は楽しい思い出として残りますが、悪い経験が続くとトラウマになります。そして、心の傷となってずっと思い続けると、「もうあれはしない」「これは嫌い」というように決めつけてしまいます。

すると、私たちは同じ目線の中でしか生きられなくなります。人間関係も同じことが言えるのではないでしょうか。

つつしんで距離をあける

親鸞聖人というお坊さんは、比叡山での修行と決別し山から下りてお念仏一つで生きていく道を選ぶのですが、その時に「逃げたな」「なまけもの」と、いろんな人から嫌なことを言われました。親鸞聖人は怒ることなく、「つつしんで遠ざかれ」とおっしゃったそうです。

つつしんで喧嘩をすることなく、会釈をしながら徐々に距離を開いていくということです。

みなさんも人間関係の中で、「どうしてもあの人はダメだ」「過去にこういうことを言われた、嫌だ、本当は喧嘩したい」という人もいるかもしれません。そんなときには、口論する必要はありません。やられたらやり返すとなったら、争いが絶えなくなります。そうではなくて、精神的に離れたらそれでいいのです。

人生は「道」だと言いますね。道には首という字が入っています。しっかり首は前に向いていますか? あなたの生きる目的は何ですか?

それをしっかり見定めたところで、もしも何かいろんな声が耳に入ってきたときにはちらっとそちらの方向を見ながら会釈をして、「私の道を歩くぞ」ということを決めたらいいのです。

嫌なことは“ぼちぼち”

私たちは失われたものを追いかけ、ないものを求めます。逆に今与えられているもの、今自分ができることになかなか目が行き届きません。

生きているといろんなことがあります。嬉しいこともありますが、苦しいこと辛いことも訪れます。嫌なことがあったときは、「なんで私がこんなことをしなきゃいけないの?」と嘆くのではなく、「せっかくのご縁です、させてもらいましょう」と、ぼちぼちとやっていきましょう。

どうぞ、今与えられている状況を生かして、一日を大切に生きていってください。

川村妙慶:福岡県生まれ。真宗大谷派僧侶。関西を中心にラジオ番組のパーソナリティーなどをつとめる。ホームページで日替わり法話を毎日更新し、メールでの悩み相談にも応じている。

※この記事は4月7日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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