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「おせっかいホルモンの人」 被災地支援を続けるさだまさしさん【テレビ寺子屋】

被災地への支援にも積極的なシンガーソングライターのさだまさしさんを、親交のある医師の鎌田實さんは「オキシトシンの人」だと語ります。オキシトシンは「おせっかいホルモン」なのだそうです。

10月29日に放送されたテレビ寺子屋 北村花絵アナウンサー

北村花絵アナウンサー:
鎌田實さんとさだまさしさんのスペシャル対談。第2回は、ともに被災地支援を続けるふたりが、「誰かのために」をテーマに話しました。

「泣けたことで立ち直れた」

医師・鎌田實さん:
東日本大震災の後、まさしさんが福島の南相馬に来てくれた時は、体育館の避難所に人があふれるようにいました。まさしさんの話に初め笑っていたんだけれど、後半にみんなが泣き出したのを覚えています。

それ以降、南相馬に行くと、「あの時に泣けたことで、立ち直れた」と言われます。避難所でみんなが寝ていて、悲しくて泣きたいんだけれど、「自分が泣くとほかの人たちも耐えられなくなる」と思って、ずっと我慢をしていたそうなんです。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
寄りかかっている者同士は自立できるんですよね。ところが、一人っきりになると耐えられなくなっちゃう。人間の心って、一人っきりじゃ無理なんですよ。

僕は鎌田先生のおかげで、被災地に行き、そこで怖がらずに歌うこともできるようになりました。その後、命と平和を守るため、ささやかでぬくもりのある支援を届けたい、明日をあきらめない人たちの志を応援したいと思い、「風に立つライオン基金」を設立しました。

被災地の人々に「ステーキ代」

基金を作ってすぐのことです。鬼怒川の堤防が決壊しました。僕は泉谷しげるさんに声をかけたのですが、手元には支援金が100万円しかありません。ふたりで考えて「ステーキ代」として持って行きました。

医師・鎌田實さん:
被災地で「ステーキを召し上がってください」というのは良い発想ですね。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
東日本大震災の後、私設避難所のリーダーに教わったのは、「被災したかわいそうな人が暮らしているのではなくて、元々そこに暮らしていた人間が、仕方なく避難所にいるんだ。そのことを忘れないでほしい」ということでした。

「『被災者で食べ物をたくさんもらうから、ありがとうと言わなければならない』とか、『遠慮しないといけない』『遊んでゲラゲラ笑っていたらひんしゅくを買う』とか、そんなバカげたことを言わないでほしい」と。やっぱり、おいしいものを食べたいんですよ。でも、言えないんです。

オキシトシンは「おせっかいホルモン」

医師・鎌田實さん:
まさしさんは、いつも誰かのために走り続けていますよね。僕は、まさしさんは「オキシトシンの人」だと思っているんです。「オキシトシン」とは、絆ホルモン・共感ホルモン・愛情ホルモンとも言われている。これが、まさしさんを走らせているんじゃないかな。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
それは「おせっかいホルモン」とも言えますよね。頼まれていなくても被災地に行くんだから。災害が起きたら現地に行って、「大丈夫か?」「何か欲しいものあるか?」「俺にできることあるか?」と。

実は、頼まれもしないところに行くのは余計なお世話だなと思って最初は辛かったんです。でも、行くと勇気が湧いてきます。勇気と元気は使うと増える。使わないと減りますね。使わないとだめです。

医師・鎌田實さん:
オキシトシンというホルモンについてだんだんわかってきて、オキシトシンを出している人は、抗酸化力が強い、老化しにくい、元気がいい。まさしさんが元気なのは、オキシトシンを出しているからだと思います。「誰かのために」は回りまわって、いつか自分のためになるんですね。

シンガーソングライター・さだまさしさん:
確かに、僕が音楽仲間を被災地に誘い、一緒に入ってパフォーマンスをすると、みんなものすごく元気になる。「連れてきてくれてありがとう」「これで、何かあったら自分でも行ける」と、お礼を言われます。そうやってお節介ホルモンは伝染するんですね。

鎌田實:1948年東京生まれ。諏訪中央病院名誉院長。地域医療に携わる傍ら、被災地支援にも取り組む。

さだまさし:1973年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。 1976年ソロ活動開始。コンサートは通算4600回を超える。

※この記事は10月29日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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