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静岡県富士市では毎年、日本三大だるま市の「毘沙門天大祭だるま市」が開かれています。そこで売られている富士市のだるま「鈴川だるま」を知っていますか。富士市ではなぜだるま作りが盛んなのでしょうか。
中国から来たおもちゃが起源
だるまは、明の時代に中国で作られていた「不倒翁(ふとうおう)」というおもちゃが元になっています。「不倒翁」はおじいさんの姿をした、手で倒しても起き上がるおもちゃです。これが室町時代後半に日本へと伝わり、姿を子供へと変えて「起き上がり小法師(こぼし)」の名で普及しました。
その後さらに姿を変え、張子(はりこ)の「起き上がり達磨(だるま)」と呼ばれるものが江戸で作られるようになりました。
座禅の姿を表した張子だるまは、赤い衣の色から、当時非常に恐れられていた「疱瘡(ほうそう・天然痘)」よけとして求められるようになり、また蚕の繭に似た形と、起き上がる姿から縁起物となったと言われています。
富士市とだるまの関係
富士市にある毘沙門天大祭のだるま市は、明治25年頃、静岡市にあった張子玩具店である「澤屋」の2代目・杉本伝之助氏が、子供向けのおもちゃと共にだるまを売ったところ、すぐに売り切れたことから始まったと伝えられています。
あまりにもよく売れたことから、地元吉原に住む杉山市松氏は澤屋のだるまを仕入れて売り出し、さらに息子である敏雄氏や、小楠芳雄氏が澤屋に弟子入りし、吉原でだるまが作られるようになったそうです。
こうして富士市でだるま作りが広まり、毘沙門天大祭のだるま市も大きく発展していきました。日本三大だるま市の一つに数えられるばかりではなく、露店の数、人出、だるまの種類などにおいて、「日本一のだるま市」と称されています。
鈴川だるまの特徴
鈴川だるまにもいくつか種類がありますが、最も一般的な鈴川だるまはひげが控えめで大人しく、表情が優しい、おだやかな顔をしているのが特徴です。これは、富士市の温暖な気候と地域の人の人柄が表れていると言われています。
鈴川だるまの伝統を受け継ぎ、日本一のだるま市を支えている「杉山ダルマ店」では、現在5人の職人の手で、だるまを制作しています。
杉山ダルマ店・芦川博將 代表:
私は利き手が右なので、だるまに向かって左側から筆を入れ、バランスを調整しながら右側を描いていきます。作製時は無心です。考え事をしていると描くことはできません
また芦川代表は「一つ一つ職人の手で作られているものなので、ぜひ大祭に足を運んで、だるまと顔を合わせ、お気に入りのだるまを見つけてほしいですね」と語ってくれました。
富士だるまプロジェクト 「だるま」で富士市を元気に!
「富士だるまプロジェクト」は、だるまの魅力を広め、毘沙門天大祭を盛り上げようと、富士市まちの駅ネットワークが主催するプロジェクトです。
2019年度から「開運!オリジナルだるまコンテスト」という白いだるまに彩色や加工を施し、自分だけのだるまを作る企画を松栄堂薬局から継承し、活動をスタートしました。
【画像】おもしろい!「オリジナルだるま」をもっと見るまた岳南電車にだるまのラッピングを装った「だるま電車」を運行させています。去年からは、富士市在住の造形作家・あしざわまさひとさんがデザインしたヘッドマークを装着しました。
紙のまち富士のPRも兼ねて、地元の小学生が作った折り紙だるまで車両を装飾。「初詣や大祭に行く際に電車を利用してほしい」という思いを込めて、年末から毘沙門天大祭まで、利用者を楽しませています。
かつて毘沙門天大祭は、全国から人が訪れ、人であふれかえっていたそうです。昔は多くの家庭で神棚にだるまが置かれていましたが、いまではその風習も薄れています。
富士だるまプロジェクトのメンバーは、「子供からお年寄りまで、だるまをもっと身近に感じてもらい、開運パワーをもらってほしいですね」とだるまへの熱い思いを語っていました。
文/富士市