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2024年7月に開幕するパリ五輪。夢の祭典まであと1年となる中、静岡市清水区出身で自衛隊体育学校に所属する東京五輪 競泳代表・高橋航太郎 選手はいま、失意を胸に己と戦いながら再起を誓っている。
◆高校までは無名…遅咲きのスイマー
静岡市清水区出身で自衛隊体育学校に所属する競泳・高橋航太郎 選手(29)。水泳は競泳選手だった父の影響で3歳の時に始めた。ただ静岡東高校時代まではまったくの無名。それでも“日本一の練習量”とも謳われる鹿屋体育大学で研鑽を重ねると、自衛隊体育学校所属後に遂にブレイクした。元々はメドレー種目を専門としていたが、2019年に自由形に専念すると日本代表に初めて選出され、その2年後の東京五輪では27歳にして初出場を果たした。
もちろん30歳の節目の年に開かれるパリ五輪も目指しているが、前哨戦となる世界選手権2023福岡大会ではまさかの代表落ち。高橋選手は「毎年100mと200mの自由形にエントリーしていたものの、100mの自由形のみに絞るという新たな試みが上手くはまらなかった」と振り返る。これはスタミナ面に課題があったための決断で、種目を減らしたことで体力に余裕が出たため新しい泳法にも挑戦したが、高橋選手が「テンポを上げる練習をやったが、自分にはあまりあっていなかった」と話す通り、慣れない泳ぎは逆に体力の消耗が激しく、リズムも崩した。
このため、現在は「自分の特徴である大きな泳ぎを意識しつつ、さらに良くしていこうと取り組んでいる」という。また、代表落選をきっかけに自らの課題にも正面から向き合い、低酸素トレーニングなども行っている。
◆再び夢舞台に立つために
そんな高橋選手の復活を誰よりも待ち望んでいるのが父・一嘉さんと母・貴美子さんだ。良き理解者であり、一番のファンを公言しているが、代表選考から漏れた際は「このまま引退するかもしれない」と思ったという。一方、両親に対して“引退”も“現役続行”も告げなかった高橋選手だったが、貴美子さんは「すごく悔しそうにしていて、だから諦められないのだと受け止めた」と話す。
家族の絆を胸に、再び夢舞台に立つために。「もう一度初心に帰って100mと200mの自由形に出場し、パリ五輪に選考されるべく頑張っていきたい」と意気込んでいる。