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自分の道を見つけたとき、それを貫き通すには何が必要なのか。戦場カメラマンとして世界の紛争地域を取材し続ける渡部陽一さん。渡部さんには、写真が1枚も使われなかった長い年月がありました。

テレビ静岡で2025年12月21日に放送されたテレビ寺子屋では、戦場カメラマンの渡部陽一さんが、戦場カメラマンになるまでの道のりと、夢を実現するために大切なことについて語りました。
泣いている子供たちをカメラで助けたい
戦場カメラマン・渡部陽一さん:
20歳の頃、バックパッカーとしてアフリカのジャングルに行きました。当時、その一帯ではルワンダ内戦と呼ばれる民族衝突が起きていて、たくさんの子供が僕に助けを求めてきました。
でも当時の僕は学生で、泣いている子供たちを自分の手で助けることができませんでした。

「自分にできることはなんだろう? 」と考えた時に、子供の頃から大好きだった「カメラ」が浮かびました。写真を使えば、この状況を多くの人に届けることができる、泣いている子供が少なくなるきっかけになるかもしれない。
そう思った時、気持ちの奥から膨らんできたのが「戦場カメラマンになる」という決意でした。

写真が使われない日々
こうして僕は戦場カメラマンになりましたが、実は20歳から長い間メディアで写真を使ってもらえませんでした。写真を使ってもらえない、ということは収入がゼロです。
生活のために近くの港でアルバイトをしました。日の出前から夜中まで、巨大タンカーで運ばれてきたバナナを手で一箱ずつトラックに積んでいく。積み終えるともらえるわずかな収入を毎日コツコツ貯めていき、半分は生活費、半分は戦場の取材費に当てました。

ところが、どれだけ戦場で写真を撮って、新聞社・雑誌社・さまざまなメディアを30社、40社回っても、写真は1枚も使ってもらえません。戦場とバナナの繰り返し、そんな生活をしながら3年が過ぎ、7年が過ぎ、気づけば30代に突入していました。
「石の上にも15年」恩師の言葉
僕は戦場から日本へ戻ると、必ず写真の先生のところへ行きました。「先生、写真を見てください。今回も1枚も使ってもらえませんでした。明日からバナナ行ってきます」と言うと、先生はこんな言葉を僕にかけてくれたんです。

「自分で納得をして覚悟を決めた道なら、毎日必ずシャッターを切ること。さまざまなジャンルの写真を見続けること。毎日コツコツ続けていけば、必ず自分がイメージした目標を引き寄せることができる。続けるからこそ見えてくる世界、突き抜けるからこそ熟成される視界がある。継続は力。『石の上にも15年』だ」。
写真の先生からの勇気の言葉でした。
好きな環境に自分を立たせる
それからも戦場とバナナの繰り返しの生活が続き、35歳になる少し前、生まれて初めて、週刊誌に僕の写真が掲載されました。
「先生が言っていたことは本当だったんだ! 」その雑誌が積み上がっている光景を見たときは、体がガクガク震え、呼吸がうまくできなくなるほどでした。

「石の上にも15年」僕は、この言葉にずっと支えられてきました。好きだからこそ、地に足をつけて続けることができる。続けるからこそ同じ世界の人たちとつながり、環境を整えることができる。
好きな環境に自分を立たせておけば、どんなに強い風が吹いても大丈夫、しっかりと対応できます。
「好きなこと、やりたいことを、どんどんやってみよう」これが、やりたいことを突き抜けてやってきた戦場カメラマンから、子供たちに伝えたい最大のメッセージです。

渡部陽一:1972年静岡県生まれ。明治学院大学法学部卒業。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦争の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を写真で伝えている。
※この記事は2025年12月21日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
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