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いま大河ドラマでも注目されている老中・田沼意次。“ワイロ政治家”のイメージがある人物ですが、実は静岡では「恩人」として感謝されていたんです。田沼意次が活躍した相良藩、いまの牧之原市へ。“意外な顔”を見つけに行きましょう。
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへ「ワイロ政治家」のイメージを覆す
大河ドラマで渡辺謙さんが演じている田沼意次(たぬま おきつぐ)。
江戸幕府で実権を握り、ワイロ政治家というダークなイメージの強い意次ですが、静岡県中部にある牧之原市を訪れると、意外な人物像が見えてきます。

まず訪れたのは、牧之原市役所相良庁舎の隣にある牧之原市史料館です。
ここで、牧之原の歴史に詳しい学芸員の長谷川倫和さんに話を聞きました。

牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
田沼意次侯はこの牧之原市、昔の相良藩という藩の藩主を務めていた方なんです
史料館の外には田沼意次の銅像があります。よくよく顔を見てみると、イケメンじゃないですか!

長谷川さんによると、意次は相良藩の藩主として、現在の牧之原市役所相良庁舎がある場所に相良城を築いたそうです。史料館があるあたりは本丸でした。

街に溶け込む相良城の痕跡
長谷川さんの案内で、かつての城の外周に向かって歩いていくと、当時をしのぶことができる、相良城の痕跡が見えてきました。
まず目の前に現れたのは石垣。
「仙台河岸(せんだいがし)」と呼ばれているそうです。

牧之原でなぜ「仙台」なのか?
仙台・伊達家から田沼家に寄進された石垣を使って築かれたので、仙台河岸と名付けられたのです。
江戸時代、現在の萩間川は、この石垣のすぐ横を流れていました。

川に直接接触している石垣、ということで「河岸」と呼ばれていたのです。
また、ある場所では民家の下を見て見ると、なんとも趣深い石垣が。実はお城の石垣です。
歴史的な建造物の上に現代の民家が建つ、面白い街並みでした。

さらに相良小学校に行ってみると、こんもりと盛り上がった土があります。これはお城の土塁(土を盛った防壁)です。土塁が学校の門などに利用されていました。
街に溶け込むように相良城の痕跡が残っているのです。

“田沼”の名前が付く道
お城の東側へ進むと、藩主としての功績を伝える場所がありました。
「田沼街道起点」と刻まれた石碑です。

意次は藩主になると、街道の整備に着手しました。
それが相良と東海道・藤枝宿までの約28kmにも及ぶ田沼街道です。
なぜ街道が重要だったのでしょうか。
牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
東海道とつながったおかげで人と物の流れが増えて、相良の城下町はとても栄えました

地元の人にとって田沼意次は、地域経済を発展させた、まさしく「牧之原市の恩人」となのです。
日本の“お金”を変えた意次
意次は江戸幕府の老中としても偉大な功績を残しています。

牧之原市史料館には、「相良海老(伝記小説)」や「刀だんす」など、田沼家ゆかりの品が多く展示されています。意次が着たと伝わる狩衣もありました。
その中でも特に注目すべきは「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」です。

牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
意次侯は貨幣制度の改革で高い評価をされています。中でも南鐐二朱銀の発行というのがとても評価が高いです
南鐐二朱銀の前に使われていたのが、お菓子のハッピーターンの形によく似た「丁銀」という銀の塊でした。

特別に本物を触らせてもらいました。
両方の重さを比較してみると、丁銀はずっしりと重く、南鐐二朱銀は軽いことがわかります。
金貨が主流の江戸では丁銀を天秤で量り、その都度小判などに両替をしていたそうです。
しかし、南鐐二朱銀には「南鐐八片を以て小判一両と換える」と刻まれており、天秤で測らなくてもすぐにその場で両替できるようになりました。

牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
貨幣の利便性が上がったということは、もっとお金を使うようになるので経済の発展が起きるということになります。日本の貨幣の歴史を変えたとも評される、非常に素晴らしい改革です
■スポット名 牧之原市史料館
■住所 静岡県牧之原市相良275-2
■営業時間 9:00~16:00
■定休 月(祝日の場合は翌日)
■問合せ 0548-53-2625
■入場 大人220円 子供110円
相良の人々の思いが隠された大澤寺
最後に向かったのは相良の城下町にある大澤寺(だいたくじ)です。

ここに相良の人々の意次に対する思いが隠されていました。
それがわかるのは「実は床下なんです」と話す長谷川さん。
かがんで床板の下をのぞくと、四角い溝のある古い木材が見えます。

これは、もともと相良城で使われていた木材だというのです。なぜ床下に使ったのでしょうか?
牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
意次侯が失脚してしまって、なかなか表には出しにくかったんです。床下に使うことで、幕府の批判をかわしたのです
「意次侯のものを何とか残したい」という相良の人々の気持ちが、この珍しい建築に表れているのでしょう。

意次の失脚後も、相良の人々は彼への敬意を忘れず、こっそりとその遺産を守り続けてきたのです。
今回の取材を通じて、「ワイロ政治家」というイメージとは異なる田沼意次の姿が見えてきました。
牧之原市史料館 学芸員・長谷川倫和さん:
大澤寺以外にも素晴らしいお寺がありますので、ぜひ来て牧之原市のこと、意次侯のことを知ってほしいと思います

意次の功績は現代の牧之原市にも影響を与えています。そして何より、地元の人々に愛され続けている姿が印象的でした。
■スポット名 大澤寺
■住所 静岡県牧之原市波津808-5
■問合せ 0548-52-0657
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