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静岡・掛川市の大東図書館では戦国時代につくられた2つの槍(やり)を見ることができます。近くにある山城「高天神城」ゆかりの刀工がつくったとされていて、刀鍛冶が住んだ場所も残っているのだとか。さっそく、現地へ向かいました!
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへ「高天神鍛冶」がつくった2つの槍
戦国の時代、今川と武田、あるいは武田と徳川が激しい攻防を繰り返した高天神城。その乱世の激戦地に刀剣を提供していたのが高天神鍛冶です。しかし、高天神鍛冶の存在は文献にはあっても、現存する刀剣は少なく謎に包まれています。少しでも真相に迫ろうと取材を始めました。
東名・掛川ICより車で南へ約20分のところに大東図書館はあります。1階は図書スペースになっていて、刀剣があるのは2階の常設展示室「郷土ゆかりの部屋」です。
正面玄関を入り、右側にある階段を登ると「郷土ゆかりの部屋」の看板が目に入ります。
部屋の中には高天神城にまつわる展示以外にも郷土の偉人、遠州国学、古墳に関しての展示があります。
順々に進んでいくと、高天神城のことについて書かれたパネルがありました。
すぐにその下へ目を向けると、2つの槍が展示されています。
大東図書館によると2つの槍は、掛川市が合併する前の旧大東町の時代に町が購入したそうです。
つくったのはかつて高天神城下に移り住んだ刀工「高天神兼明(たかてんじんかねあき)」。
この槍について詳しく分かるかもしれないと紹介してもらったのは、掛川市に合併する前の旧大東町で文化財を担当する職員だった鬼沢勝人さんでした。
鬼沢勝人さん:
はっきりとした時期はわかりませんが、2つの槍を大東町が購入したのは昭和63年から平成2年頃だと思います。何代かいたとされる兼明のうち、何代目の作か調べきれていませんが、それぞれ鑑定にも出し鑑定書もあります
展示されている槍の鑑定書には「槍 銘 高天神 兼明」と書かれています。
銘とは刀の作り手が自らの名前を刻んだものです。長さは六寸六分とあり、約20cmです。
下の大きな槍の鑑定書にも「大身槍(おおみやり)銘 高天神 兼明」とあります。
長さは二尺一寸、約63cmです。大身槍とは槍の刀身の部分が約60cm強ある槍のことです。
特徴的な「高天神」の文字
注目したいのは、茎(なかご)と呼ばれる柄(え)におさめる部分に刻まれている銘「高天神」の三文字です。
なかでも「神」の字の最後のタテ画が左上にハネ上がっています。
後述する高天神兼明の関係者の方によると、これが高天神兼明がつくった刀剣の特徴だといいます。ちなみにもう片面には「兼明」の文字が刻まれています。
どちらの槍も間近で見てみると、すらりとしていて、美しく輝いています。
筆者は以前、刀剣をつくる原料のひとつ「玉鋼」の実物を見たことがありますが、鉄の塊からこのような槍を作るという職人仕事には感服します。
刀剣好きの方はもちろん、刀剣に興味のない方でもこの2つの槍には目を見張るものがあると思います。
槍の撮影は普段は禁止されていますが、図書館の開館時にはいつでも見ることができます。
高天神城にまつわる展示品はほかに複製品の天目茶碗と小瓶、復元品の陣笠などがありました。大東図書館は高天神城跡から車で約10分と近い距離にあるため、併せて訪れるのもおすすめです。
■スポット名 掛川市立大東図書館 郷土ゆかりの部屋
■住所 静岡県掛川市大坂7152
■開館時間 9:00~17:00、木は~19:00
■休館 月
■問合せ 0537-72ー1143
高天神兼明の「刀屋敷」を訪ねる
さて、あの槍をつくったとされる「兼明」とはどのような人物なのか。
その謎を探るために兼明が刀剣をつくっていたとされる場所へ向かいました。
大東図書館が所蔵する「戦国史城 高天神の跡を尋ねて」(編者:藤田清五郎氏)によると、図書館から東に車で3分ほどのところに、その場所があることが分かりました。
高天神城跡から約3km離れた、田んぼやメロン・トマトの栽培ハウスに囲まれた一帯。兼明の時代から代々その土地に住んでいるのは深川家です。
深川玲子さん:
ここは古くから「刀屋敷」と呼ばれていて、兼明は高天神城を今川家が治めていた時代に美濃から招かれてこの地へ来たそうです。兼明の名は初代から三代つづき、ここで刀鍛冶をしていました。また、三代目の兼明は武田家に仕え、武田信虎から虎の字をもらい、「虎明」と改名しています
先祖には高天神城の家老を務めていた人物もいると伝え聞いているのは、現在この土地に住んでいる深川玲子さんです。深川家は刀剣を作るため今川家に呼ばれた兼明を、深川の敷地にある屋敷に受け入れたと考えられています。
深川さんの所有地内にある「高天神兼明屋敷跡」の記念碑を訪ねました。
田んぼのあぜ道を歩くこと50mほど。
「市指定史跡 刀工高天神兼明屋敷跡」と書かれた白い標識と、石碑が建っています。
深川さんによると、1966年8月に日本美術刀剣保存会静岡県支部によって建立され、1975年頃に掛川市の文化財に指定されたとのことです。
近づいてみると、「刀工高天神兼明宅趾」の文字が見えます。つづいて「文学博士 薫山(くんざん)本間順治書」とあります。記念碑の文字を書いた方です。
薫山とは日本美術刀剣保存協会の会長でもあった本間順治さんの雅号です。
今も大切にされる「ふいご祭り」
深川さんによると、屋敷跡周辺では田んぼを掘ったところ、刀剣や農具など古い時代のものと思われる金物がでてきた場所もあったのだとか。
現実となって現れると、戦国のロマンを感じますね。
深川さん:
今も毎年12月になると我が家では「ふいご祭り」といって、お赤飯を炊いてお供えし、親しい人を呼んで、ふいごの神様をおまつりする神事をしています。私の代で止めてはいけないように毎年忘れないようにしています
ふいごとは鍛冶屋が火力を強めるために用いた道具のこと。深川家のみに伝わる風習で、今も鍛冶の歴史を大切にしていることがわかりました。
記念碑を訪れる際は私有地なので、くれぐれも近隣の住民の迷惑にならないようにご注意ください。
■スポット名 刀工高天神兼明宅趾
■住所 静岡県掛川市中4206付近
取材/ヤナギ・タリ
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