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戦争取材は単独で行われることはなく、チームを組み行動します。最前線にたどり着くまでが勝負。そんな戦場カメラマンの仕事について、第一線で活躍している渡部陽一さんが教えてくれました。
テレビ静岡で7月7日に放送されたテレビ寺子屋では、戦場カメラマンの渡部陽一さんが、戦場に赴くまでの過程や大切にしていることを教えてくれました。
戦場カメラマンはチームで動く
戦場カメラマン・渡部陽一さん:
戦場カメラマンには「一人ぼっちで、たくさんのカメラを持って戦場の前線に降り立ち、地雷が埋まっている危険な地域を飛び回りながら写真を撮り続ける危ない仕事」、そんなイメージがあるかもしれません。
でも国際ジャーナリストや記者、そして戦場カメラマンである僕自身も、一人で戦場に飛び込んでいき写真を撮ることは絶対にしません。
必ず取材をする国、地域で生まれ育った「ガイド」、さらにはその国の言葉を話し取材する地域ならではのアクセントを使いこなすことができる「通訳」、そして万が一のときに身を守ってくれる「セキュリティ」と、自分を含めて最低4人で取材のチームを組み立ててから、初めて戦場の最前線を動き写真を撮ることができるのです。
段取り八分 仕事二分
戦争が起こっている国は、国自体が事実上壊れてしまっていることが多く、力をもった組織がそれぞれの地域を管轄していて、取材中はその地域の境目を超えていかなければなりません。
「取材をするために入国を許可します」というジャーナリストビザをパスポートに押してもらい、紛争が起きている国に降り立つと検問が多く待ち構えています。
その国の外務省や内務省から自分が動いていくことを認められた「取材行程表」をもらい、何十個もの検問をガイドと一つ一つパスしていき、やっと最前線に立つことができます。
ガイドや通訳とのつながり、信頼関係を作っていくだけではなく、その国で動いていくためのさまざまな許可証を手に入れることで、初めて戦場を動き写真を撮ることができます。
この最前線にたどり着くまでの準備、段取りというものが戦争報道の仕事の中で一番時間と労力と資金を注いでいるところです。
「スピードは力」取材結果をすぐに届ける
写真を撮り、「これで世界の子供たちとたくさんの方をつなげることができる」と思うのも束の間、今度は撮った写真や映像を日本まで届けなければなりません。
「検問でフィルムを全部没収されてしまった」とならないように、今では戦場の最前線でインタビューや写真が撮れた瞬間に、自分が持ってきたパソコンで衛星を使い日本のメディアに届けることができるようになっています。
「スピードは力」という言葉の意味を、初めて写真を送り出した時に強く感じたことを覚えています。
情報戦争の中で立ち止まる勇気
世界情勢が動き情報戦争とも言われる中、日々たくさんの情報に触れることができます。
「フェイクニュース」と呼ばれる本当なのかわからない情報も飛び交い、日常の中で不安になることもあるのではないでしょうか。
情報があふれた暮らしの中では、無意識のうちに自分に心地良い情報に引っ張られてしまうことがあります。
情報に触れた時、「なんだか自分にとって気持ちの良い情報だな、すごく引き込まれてワクワクしてしまう」と感じたときは、一度立ち止まってみて深呼吸してみてください。情報の選択肢が見えやすくなってくると思います。
僕は世界中で戦争が続いている限り、戦場カメラマンとして子供たちに向き合っていきます。危機管理、相手に対するリスペクト、敬意をもった寛容の気持ちに常に寄り添い、たくさんの方とつながりながら、これからも架け橋となる写真を撮り続けていきたいと思っています。
渡部陽一:1972年静岡県生まれ。明治学院大学法学部卒業。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦争の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。
※この記事は7月7日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
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