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地域に愛されていた「庵原新聞」が廃刊を迎えた。実家の寺を手伝い、教員としても働き続けてきたが記者になる夢を諦められず、48歳で新聞を発行した編集長の思いとは。
地域密着のニュースを週1回
新聞の編集作業をしているのは、庵原新聞の編集長・大嶽正孝さん(88)だ。
大嶽さんが立ち上げた庵原新聞は これまで40年あまり発行を続けてきたが、2024年3月23日で廃刊を迎えた。
1983年に創刊され、現在の静岡市清水区と富士市の一部にあたる旧庵原郡の由比・蒲原・富士川の3つの町の様々なニュースを週に1回提供してきた。
庵原新聞・大嶽正孝 編集長:
今まで40年もやってきたから「これで終わりかな」と思うと悔しい気持ちがある
廃刊の理由は読者の新聞離れや経費高騰などさまざまだが、一番の理由として大嶽さんは”自身の高齢化”をあげ「もっと私が若ければ、ここで負けないで何とか方法を考えるということもあったが、さすがに自信がない」と話した。
夢を諦めきれず新聞を発行
庵原新聞・大嶽正孝 編集長:
大学時代ずっと新聞部にいて、自分の人生を考えた時に、あとになって「やっぱりやれば良かった」と思わないように
庵原新聞を始めたとき大嶽さんは48歳だった。
実家の寺で僧侶として父である住職を手伝いながら、高校の教師としても働いていた。
しかし「新聞記者になりたい」という夢を諦めきれず、自ら新聞を発行し始めた。
大嶽さんは「新聞の取材から執筆、編集をして印刷店に持って行った。新聞は黙っていては増えないのでセールスに回った。夜も定時制の教員の仕事」とフル回転だったようだ。
記者は女性3人 地元に愛されて
そんな大嶽さんを支えてきたのが3人の女性記者だ。
3人の記者は「『リアルな地域の様子が伝わるから、毎回 地域の人の名前を入れなさい』と言われた」「新聞に対しての妥協がない人」「優しく見守ってくれて、すごくやりやすかった」と大嶽さんの印象を話してくれた。
実は廃刊を検討する際、3人の中から編集長を選び存続する案もあったが「(大嶽)編集長が好きでみんな信頼して尊敬している。この形で終了するのがいい」と3人は辞退した。
廃刊が決まり、地域では残念がる声も上がっている。
静岡市清水区蒲原にある、国登録の有形文化財「旧五十嵐邸」の保存活動など、様々な取材を受けてきた片瀬信江さんは長年の読者でもあり寂しさを感じている。
旧五十嵐邸・片瀬信江さん:
自分たちのやったことを庵原新聞に載せてもらうことが街の人たちに知ってもらう一つの大きな手段。廃刊を聞いた時に本当に胸が痛かった。本当に残念です
特に印象に残っている取材として、大嶽編集長は2003年に社説で取り上げた由比・蒲原・富士川の3町の合併問題をあげた。
大嶽さんは「3町で1つにまとまるのがいいのではと主張した。かなり大きな話題になった」と振り返る。
地域の絆に懸念を残し
大嶽さんは廃刊によってさらに地域の絆が薄くなることを心配している。
庵原新聞・大嶽正孝 編集長:
「3町をつないでいるのが庵原新聞」とずっと言われていたが、それがなくなると今以上に3町が分裂してしまう。何らかの形で旧庵原郡はつながっていくような手立てはないか期待したい
お寺の僧侶、高校の教師、そして新聞記者と走り続けてきた大嶽さん。
庵原新聞は廃刊となるが、地域の発展を願う気持ちはこれからも変わらない。
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