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【葵区・鯨ヶ池】池なのにクジラ? 静岡随一の名水といわれた池は大正天皇も訪れていた

名前の由来を深掘りすると歴史がみえる。今回は葵区にある「鯨ヶ池(くじらがいけ)」を調査します。池なのになぜクジラなのか、その由来を調べていくと奥深い歴史や伝説にたどりつきました。

池の形はクジラじゃない

調査するのは、釣りスポットとして有名な静岡市葵区にある鯨ヶ池です。

池なのにクジラ、おかしいと思いませんか?

静岡市の中心地から車で約30分、鯨ヶ池は釣りスポットやお散歩コースとして人気です。

なぜ山間部の池に「鯨」の名前が付いたのでしょうか。池の形が「鯨」ということでもなさそうです。

池の周辺で聞き込み調査

さっそく聞き込み調査を開始しようと思いましたが、残念ながらこの日は釣り人がいません。池の周辺を歩いて人を探してみることにしました。

にむらあつとリポーター:
住宅街といいますか、民家が多いです。すごい車が止まっている場所があります。「鯨ヶ池老人福祉センター」、ここに行ってみましょう

高齢者の健康増進などを目的にレクリエーションなどを行う静岡市鯨ヶ池老人福祉センター。

鯨ヶ池のほとりにあるので、何か情報があるかもしれません。館長の石川幸夫さんに聞きました。

左)にむらあつとリポーター 右)石川幸夫 館長

静岡市鯨ヶ池老人福祉センター・石川幸夫 館長:
木の看板と石碑が建っております。駐車場にあるので、ご案内させていただきます

大正天皇が訪れた名水

駐車場に立てられているという看板。案内してもらいますが、この日は雨。看板はぬれてしまい…

にむらあつとリポーター:
これですか? 雨に濡れて真っ黒で読めません。ここに書かれていることはどんなことですか?

雨に濡れて看板が読めなかったので、石川館長に解説してもらいます。

石川 館長:
大正天皇が明治時代、皇太子の時代に鯨ヶ池に来ましてカモ狩りと行水をなさったということが書かれております

行水ということは、実際に池の中に入って泳いだということなのでしょうか。

石川館長によると水質が今と違って飲めるような状態だったそうです。当時の新聞にも大正天皇が「おいしかった」という感想を述べられたとの記事があるそうです。

鯨ヶ池の水は実は名水だった、ということがわかりました。

徳川家康も求めた評判の水

さらに歴史を遡ると、徳川家康の時代にも鯨ヶ池は登場しています。

石川館長:
徳川家康が池の水が大変きれいでおいしい、ということで駿府城に水をここから引いたと言われています

静岡随一の名水と言われた鯨ヶ池の水。

安倍川の伏流水が水源と言われ、駿府城の御用水として利用されて、家康公の飲み水になっていた可能性も。

さらなる情報をもとめ、鯨ヶ池のほとりをさらに散策することにしました。

鯨ヶ池をよく知る人物のところへ

池の南西側で見つけたのが「鯨ヶ池FCフィッシングセンター」と大きく書かれた建物です。

釣具の販売やレンタルを行う鯨ヶ池FCフィッシングセンター。陽気な店主、漆畑正太郎さんは生まれも育ちも鯨ヶ池。50年前から鯨ヶ池を見てきたそうです。

鯨ヶ池の名前の由来を知っているでしょうか。

鯨ヶ池FCフィッシングセンター 店主・漆畑正太郎さん:
伝説上というか、昔の古い書物に残っているんです。資料もありますよ

早速その資料を見せてもらうことになりました。

漆畑さんに見せてもらったのは「私達のふる里 下」という郷土史です。「下」はこのエリアの地名で「しも」と読みます。

その中に「鯨ヶ池の呼び名」という箇所がありました。

「下村にある福成権現の北の方に八町四方の平地があり、その真ん中に、鯨の形に似た岡があって『鯨ヶ岡』と言われていた」

今でも福成神社は池の南の山の上にあります。その北の方、つまり現在の鯨ヶ池のある場所に、鯨ヶ岡という丘があったというのです。

さらに続きます。

「天平19年(746年)3月3日、この丘からにわかに霊水が湧き出し、空中10mも高くほとばしり、ちょうど鯨が潮を吹いたようであった。それで平地は池となった」

一帯が池になってしまったことから、「鯨ヶ池」と呼ばれるようになったとされていました。

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結論、鯨ヶ池という名前は、かつてこの地に存在した鯨ヶ岡という鯨の形をした丘から天平19年(747年)に突如、水が湧き出したことに由来すると、地元では伝えられていました。

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