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“夢”の概念がない村 学校を建設すると子供たちに変化「お医者さんになりたい」 【テレビ寺子屋】

ネパールのある村に住む子供たちは読み書きをすることができず、かつては「夢」という概念がありませんでした。登山家の野口健さんが学校を建設し教育の機会を与えると、子供たちは夢を語るようになりました。

テレビ静岡で3月3日に放送された「テレビ寺子屋」では、登山家の野口健さんが、ネパールの山の村で、村人たちの理解を得ながら学校建設に取り組んだ経験を語りました。

夢という概念がない村

登山家・野口健さん:
ネパールの「マナスル」という山の麓、標高3600mのところに「サマ村」という村があります。ヒマラヤの清掃活動の一環で、そのサマ村に数日間滞在した時のことでした。

僕たちのテントに子供がいっぱい集まってきたので、「みんなの夢ってなに?」という質問をすると、きょとんとしています。山登りのガイドをしてくれているシェルパに話を聞くと、当時のサマ村には、そもそも「夢」という概念や考え自体がないと言うのです。

僕にとって「夢」は、子供の頃に自然にポッと出るもの。例えば僕は子供の頃「ドリトル先生航海記」を読みながら地球儀を見て、「この辺りかな」などと想像してワクワクしていました。それが夢を抱くことにつながったのだと思います。

「夢を持つには何かしらきっかけが必要だ、まず本だ」という考えが浮かびました。しかしサマ村はネパールの外れの本当に貧しい村で、学校がありません。「子供たちに本を読んでもらいたいけれど、読み書きができないと読めない。だったら学校を作ろう」とシンプルにそう思いました。

学校建設に村人の反対

僕は村人を集めて「学校を作らないか」と話しました。歓迎してくれると思っていたのですが、「子供はヤクの放牧や水汲み、畑仕事などの『労働力』で、学校に取られたくない」「男の子は将来出稼ぎで海外に行くかもしれない、でも女の子は村を出ないのに勉強する理由がどこにあるのだ」などと、反対意見も出てきました。

お金を集めて建物を作ることはできますが、学校だけ作っても教育に対する理解がないと親が子供を通わせてくれない。ここはちょっと時間をかけようと思いました。

当時のサマ村は、山小屋のゴミをあちこちに捨てたり、家にはトイレがなかったり、とても汚れていました。そこでまずは、村をきれいにすることから始めました。2年間ぐらい何度も通って、村人と一緒にゴミ拾いをしてご飯を食べて、だんだん関係性が深まっていきました。そこで、学校の建設をもう一度提案してみると、「健がそこまで言うのならやってみよう」という話になったのです。

サマ村まで大工さんは多くは来られず、村人のサポートが不可欠です。大きな岩を砕いて手作りの石のブロックを作って運び、力を合わせて1年余りで学校が完成しました。

夢を語るようになった子供たち

数年後、「夢ってなに?」と聞いたらきょとんとしていた子供たちに同じ質問をしてみました。すると、「ヘリコプターのパイロットになりたい」「学校の先生になって教えたい」「村には病院がないから、お医者さんになって、じいちゃんばあちゃんの膝や腰を治してあげたい」と、かつて夢という概念がなかった子供たちが、夢を語るようになったのです。

僕たちがネパールのいろいろな村に行くと、子供たちが「ペンをください」と言います。ある時、鉛筆と紙を渡したら、「自分の名前を書いてほしい」と言うので、シェルパがネパール語で書いてあげました。すると彼は「これが僕の名前?」と聞いて、嬉しそうにずっと真似して書いています。

鉛筆を持って書けるというのは、もうそれだけで嬉しいんですよね。僕が子供の頃、学校に通えるのは当たり前すぎて特に感謝していませんでしたが、「ああ、恵まれていたんだな」と思います。

子供たちの夢と未来のため、これからも活動を続けていきたいと思っています。

野口健:1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。近年は、ヒマラヤや富士山の清掃活動に加え、被災地支援などの社会貢献活動を行っている。

※この記事は3月3日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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