
森保ジャパン最年少の21歳でワールドカップに挑んだ静岡県浜松市出身の後藤啓介 選手。社会人チームでサッカーを続ける3歳年上の兄が語る弟の素顔。そして兄も大きな刺激を受けています。
日本代表・後藤啓介 選手:
やっと夢の舞台に立てたけど、緊張することなく全力でできたと思うし、もう1回、2回全部立てるように頑張りたい
グループリーグ第2節のチュニジア戦でワールドカップのピッチに立った、浜松市出身の21歳・後藤啓介 選手。
その姿に、大きな刺激を受ける1人のサッカー選手がいました。
3歳年上の兄・佑介 選手(24)。
J1から見ると5部リーグに相当する、県内の社会人チーム(岳南Fモスペリオ)のゴールキーパーです。
兄の背中を追いかけ、4歳でサッカーを始めた弟は今や時の人。
兄は、自身を凌駕する素質を幼少期から感じていたと言います。
岳南Fモスペリオ・後藤佑介 選手:
“サッカー愛”は絶対勝てない。本当にシンプルにずっとボールを蹴っている
好きに勝る努力なし。
この言葉を体現した弟・啓介 選手のサッカー人生は、まさに“飛び級”の連続でした。
高校ユース年代の静岡ダービー(2020年)。
清水エスパルスユースの兄・佑介 選手(当時・高校3年)と対戦したのが、ジュビロ磐田U-18所属で当時はまだ中学生だった啓介 選手(当時・中学3年)。
年上の選手たちに全く引けを取らない技術と落ち着きで、存在感を放ちます。
別の試合では、ゴールキーパーの兄・佑介 選手から得点を挙げた事も・・・
さらに・・・
兄・佑介 選手:
17歳でトップデビュー、18で海外、20で代表、本当に言葉通りにきている
17歳、高校2年生でのプロ契約。
ジュビロの歴史に名を刻む、最年少ゴール。
18歳で掴んだ、海外移籍。
20歳の夏には、ベルギー1部・シント=トロイデンVVでブレイクし、リーグ戦 11ゴール!
飛ぶ鳥を落とす勢いで初のA代表、さらに2026年はワールドカップへの切符も手にしました。
有言実行の弟に対して、兄・佑介 選手は・・・
兄・佑介 選手:
そこまで年齢通りだとドン引きですね
その言葉の裏に滲むのは、弟を認めながらもいつまでもライバルであり続けたいという、兄の意地。
岳南Fモスペリオ・後藤佑介 選手:
もうちょっとだけ、テニスボール(での練習)いいですか?
全体練習終了後、誰もいなくなったピッチで行うトレーニング。
的の小さいテニスボールを使い、セービングやパンチングでの手の出し方や、ボールに力が伝わる当て方をしているかを、納得がいくまで確認します。
思えば弟も、練習後はキックの感覚を確かめつつ、誰よりも長くボールに触れていました。
兄・佑介 選手:
僕も岳南では最後まで練習するけど、弟がいたら彼が最後だと思うし、プロでもずっとこだわりというか、本当にサッカーが好きなので、ひたすらずっとサッカーをやっていたい感じだと思う
日本代表の弟。社会人チームの兄。
兄・佑介 選手は朝8時からの練習が終わると、午後はチームのパートナー企業が運営する放課後等デイサービスで働いています。
兄・佑介 選手:
お気に入りの給食のメニューとある?
児童:
揚げパン
兄・佑介 選手:
揚げパン出るんだ
児童:
出る。カレーライスもツナそぼろ丼も出る
大学時代には保健体育の教員免許を取得。
練習の疲労はあれど、無邪気な子どもたちが成長していく姿に、やりがいを感じています。
仕事とサッカーの両立。
単身での生活はハードな毎日。
それでも続けられる、心の奥底にある思いは・・・
兄・佑介 選手:
多分海外の方がもっと厳しいし、僕がやっているといっても、結局日本で言葉も通じるし、衣食住もちゃんとある中だけど、弟は言葉も通じないし意思疎通もなかなか図れない中でやっているので、それに比べたら楽だなと思ってやるようにしている

弟・啓介 選手(当時17):
自分の夢はワールドカップ優勝
日本代表・森保一 監督:
後藤啓介
背伸びをしても届かなくなった、191cmの弟は言う。
「アメリカでの悔しさは、アメリカで晴らす。」
彼が見据える次の舞台は、2028年のロサンゼルス五輪。
そして、移籍が決まったヨーロッパの5大リーグ・ドイツの地(ドイツ1部・SCフライブルク)。
日本代表・後藤啓介 選手(21):
1つ言えるとしたら、(敗戦を)次に繋げないといけないのは、ワールドカップを経験して思った
弟が夢を掴み更なる飛躍を目指すほど、それが兄の原動力になる。
後藤啓介 選手の兄・佑介 選手。
彼の夢は、弟とともに・・・
岳南Fモスペリオ・後藤佑介 選手(24):
自分が現役を続けている限り、啓介の活躍はずっと刺激になる。彼が現役を長く続けてジュビロに戻ってきた時に、僕も同じようなリーグでやれているのが一番の理想だし、それを口にしていいだけの努力をして、実際に実現できれば
