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静岡・富士宮市にある、「大晦日」という難読地名を調査しました。単純に「おおみそか」とは読みません。地元でも知らない人が多いという、驚きの読み方とその由来に迫ります。
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへまずは富士宮駅周辺で聞き込み調査
まずは地元の人が読み方や由来を知っているか調査します。JR富士宮駅周辺で地元の人に尋ねてみました。しかし、調査は難航します。

返ってくる答えは「知らない」「分からない」ばかり。地元で生まれ育ったタクシー運転手でさえ、この難読地名の読み方を知らないようです。
観光案内所で手がかりを発見
聞き込みでは手がかりをつかむことができなかったため、富士宮駅にある観光案内所で情報を集めることにしました。
ここで、読み方を知っている人に会うことができました!
富士宮市観光観光協会・佐野俊寿さん:
こちらは旧芝川町の地名で、「おおずもり」ですね

富士宮市の難読地名「大晦日」と書いて「おおずもり」と読むことが判明しました。
富士宮市観光協会・菊地智子さん:
場所は本当に山深いところで、有名な神社があるんです。そこを見に行く時に私も「大晦日」の看板を見ました

「おおずもり」の場所は、富士宮市と静岡市清水区の間にある山の中。合併する前の芝川町エリアなので、富士宮市に住んでいても、知らない方が多いそうです。
山奥へ有名な神社を目指して
早速、有名な神社があるという「おおずもり」の現地調査へ向かいます。

車で10分ほど山奥へ進むと、神社の入口にたどり着きました。大きな石碑には「芭蕉天神宮」の文字が刻まれています。
これが観光案内所で聞いた有名な神社のようです。住所は富士宮市内房、字が大晦日となります。

そして観光協会の情報通りの場所で、「おおずもり」の案内図を発見しました。
案内図を見てみると、集落には大晦日公民館があり、その周りに民家が点在しています。

大晦日は「望月さん」が住む集落
驚くべきことに、案内図に記された民家は全て「望月」という苗字でした。どうやら集落には望月さんがたくさん住んでいる様子です。何か理由はあるのでしょうか。

地元の歴史を調べて10年以上になるという郷土史愛好者の増田文夫さんに話を聞きました。
郷土史愛好者・増田文夫さん:
1180年にこの地区では、源平の戦いの「富士川の合戦」というものがありました。水鳥の羽音に驚いた平家が戦わずにして全て逃げてしまいました

逃げた中に望月一族がいて、ここへと隠れ住み、村を作ったという伝承があるそうです。源平合戦にまで起源がさかのぼる集落だったのです。
「おおずもり」の地名に隠された深い由来
望月さんが多い理由がわかったところで、なぜ「おおずもり」と読むのか、地名の由来を教えてもらいました。
郷土史愛好者・増田文夫さん:
後醍醐天皇が、鎌倉幕府を討伐した時に富士宮の浅間大社を大変信仰しており、戦勝の報告に勅使を遣わせました。その方は久我大納言だと、ここの地区では伝承されています

しかし、後醍醐天皇が富士山本宮浅間大社へ送った勅使・久我長通は、京都へ戻る途中この大晦日付近で病に倒れ、亡くなってしまいます。
久我長通は日頃から菅原道真を祭る菅原天神を信仰していたといい、そのそばに埋葬してほしいと希望していたそうです。

そこで造られたのが芭蕉天神宮です。菅原道真が祭られ、旧芝川町エリアでは学問の神様として知られています。
郷土史愛好者・増田文夫さん:
その後、村人と久我家が何らかの関係を密接に持って、久我家からいろいろな仕事を仰せつかったのではないかと考えられています。1年の一番最後、大晦日の日は本当にてんてこ舞いをするほどの忙しさだったのではないでしょうか。それが転じて、大晦日と呼ばれるようになったのではないかと言われています

一年の最後の日まで忙しく働いていた村人たち。増田さんによると、大晦日(おおみそか)は別名で「おおつごもり」と言うことがあり、それが訛った結果、「おおずもり」という地名になった可能性が高いそうです。
大晦日の由来をまとめると
平家の残党であった望月一族が逃げ延びたとされる場所、大晦日。
その後、病に倒れた後醍醐天皇の勅使を埋葬したことで、たくさんの仕事を請け負うようになったこの集落は、大晦日まで忙しい場所となったのではないでしょうか。
それゆえ大晦日と呼ばれるようになり、大晦日の別の読み方「おおつごもり」から「おおずもり」と変化したというのが、最も有力な説でした。

地名を調べれば歴史がわかる! 源平合戦までさかのぼる、古の住民の暮らしが見えたような気がしました。
■スポット名 芭蕉天神宮
■住所 静岡県富士宮市内房5819-2
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