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静岡・富士市を流れる富士川の西側には、不思議な3つの地名があります。漢字では「鍵穴」「桑木穴」「香木穴」ですが、読みは全て「かぎあな」。さらに3つの地域は隣接しています。その謎を追うと住民からは平家の落ち武者伝承が語られたのです。
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市境をまたぐ3つの「かぎあな」
その場所は富士市と静岡市の市境にあります。
静岡側から行くと、清水区由比から車で北上して約15分。山あいの小さな集落に着きました。

車中、にむらあつとリポーターは、「かぎあな」という地名に過剰なロマンを感じてしまったようで、大胆な仮説を披露します。
にむらあつとリポーター:
鍵穴、つまりカギですよね。カギが必要な場所、それは「お宝」がある場所ですよ
お宝を開けるカギが、桑木穴・香木穴・鍵穴の各所に隠されているのではないか、というのです。

富士川の西側にある山あいにポツンと存在する「かぎあな」。
住所表記上は静岡市側が清水区由比入山、富士市側は南松野と中之郷になります。
香木穴と鍵穴の中間あたりに到着しました。

段々畑とサクラ、ウグイスのさえずり。まさに“里山”という風景の中を進んでいくと、川沿いに看板が並んでいるのを見つけました。
それぞれ看板には桑木穴・鍵穴・香木穴の三つの表記が、すべてありました。

さらに奥へ進むと民家が見えてきます。小川を挟んだ向こう岸の住宅に人影がありました。
「ここ、かぎあなですよね?」と声をかけると、「そうです、3つあるんですよ」と答える男性。

続けて何やら大事なことを教えてくれているようなのですが、遠くて聞こえません。
沢を渡り、ようやく近くで詳しく話を聞けました。
鍵穴の住民・平野さん:
この沢を境に、こちらが富士市。向こう側は静岡市です
平野さんの家がある側は富士市「鍵穴」、反対側は静岡市「香木穴」。

平野さんの説明によると、川を境に行政区域が分かれており、「かぎあな」の表記も変わるとのこと。
「かぎあな」の中に、市の境界が存在していたのです。

しかし「なぜ3つの違う表記の場所があるのか」「なぜこの地域がかぎあなと呼ばれているのか」。
この2つの疑問については、平野さんも「わからない」と答えるばかりでした。

にむらリポーターが期待する「お宝うわさ」も、平野さんは耳にしたことはありません。「宝でもあれば最高ですが」と苦笑いです。
しばらく沢沿いを登っていくと、今度は「香木穴」側に住んでいるという3人に出会いました。
「香る木の穴っていい名前でしょ」と地名への愛着を話してくれましたが、なぜ表記が分かれるのかについてはわからず。

沢を境に書き方が変わる鍵穴と香木穴ですが、3人が言うには、もうひとつの「桑木穴」も、別の沢を境にしているそうです。

「ここにはお宝が眠っているのでは?」期待して質問するにむらリポーター。
しかし住民は「埋蔵金ですか?」と首をひねり、「出ても石くらいのものですね」とにべもありませんでした。
にむらリポーター、撃沈か。

養蚕業が由来か 桑木穴の歴史
気を取り直して、3つ目の表記である「桑木穴」へ向かう途中、山道で車とすれ違いました。
「かぎあな」を調査していると話すと、運転していた女性が「お隣の方が詳しいかも」と連絡をとってくれました。

さっそく紹介された望月正行さんの家に向かいます。
なんと望月正行さんの家系は、約800年前の鎌倉時代から桑木穴に住んでいるそうです。

望月さんが「桑木穴」の「桑」について、興味深い話をしてくれました。
桑木穴の住民・望月正行さん:
昔、蚕を飼っていたんですよ。それでこの辺にたくさん桑の木を植えてあったので、この地区は桑木穴にしたみたいです

かつて盛んだった養蚕業に欠かせない桑の木が、地名の由来になったということなのでしょうか。
さらに桑木穴の長老からは、新証言が。
桑木穴の住民・望月健さん:
この辺に住んでいるのは、平家の落武者だと聞いた

平家の落武者とは、やはり「かぎあな」にはお宝が眠っているのでは?
しかし長老は、失笑とも冷笑ともつかない笑みを浮かべただけ。

結局、なぜ「かぎあな」に3つの表記があるのかはわかりませんでした。
江戸時代に残る「かぎあな」の記録
さらに詳しく調べるため、この地域の歴史に詳しい富士山かぐや姫ミュージアムの石川武男館長を訪ねました。

「鍵穴」「桑木穴」「香木穴」、なぜこの漢字なのでしょうか。
3つの地区で唯一得た情報は、桑木穴は養蚕が盛んな地区だったから「桑木」の字を使ったのではないか、ということ。
すると、石川館長は頷いてこう答えました。

富士山かぐや姫ミュージアム 館長・石川武夫さん:
桑木穴の江戸時代の農村というと、基本的に田んぼをやるだけではなくて、養蚕を農家の副業としてやっていたんですね。当て字を使ったということであれば、十分考えられますね
この3つの「かぎあな」は、いつからあるのでしょうか。
石川館長によれば、富士市(旧富士川町)で昭和6年に刊行された「郷土教育資料」の中にはこう書かれていました。
「鍵穴の部落のできた原因は昔 入会地の番人として番小屋へ詰めたものだが、いつの代からか妻子を引き連れてここの番人に移住して来たのだ」(中略)

つまり、あの場所に集落ができたのは、村から「入会地」である今の“かぎあな”へ、家族で移住していったからとのこと。
さらにさかのぼって、「駿国雑誌」という江戸時代後期に刊行された雑誌にも“かぎあな”についての記述があります。
「當村は、南松野、中之郷、由井山村の出合いにして、香久穴(かぐあな)と云へり」
「香久穴」は、現在の「香木穴」に近い表記です。

富士山かぐや姫ミュージアム 館長・石川武夫さん:
もともとは「香久穴」と呼ばれていたと駿国雑誌に書いてあります。このことから江戸の後期が「かぎあな」という地名の記録で追える範囲となります
資料の上では「かぎあな」の地名の発端は、「香久穴(かぐあな)」と呼ばれていた江戸後期ではないか。石川館長は「記録で追えるのはここまで」と語ります。
結局お宝は? 平家落武者伝承の真偽
ところで、お宝は。
実はにむらリポーターは、あの「鎌倉時代から桑木穴に住む家系」と話す望月正行さんから、衝撃の証言を得ていました。
望月さんは、幼いころにお宝があると聞いたことがあるというのです。
桑木穴の住民・望月正行さん:
聞いたことはあるけど。でも、どこにどんなものが置いてあったか。おそらく昔2回火事になった時に、大事なものが焼けちゃったんじゃないのかな

石川館長も知らなかった話。さすがに驚いたようですが、こんなことも教えてくれました。
富士山かぐや姫ミュージアム 館長・石川武夫さん:
実は、南松野村(桑木穴)には平家の落武者が部落を作ったという伝承はあります。ただ、実際に確信があるかというと、正直そこまでは分かりません

“かぎあな”には落武者とお宝の伝承がありました。にむらリポーターの仮説を、ただの夢物語と片付けることはできないのでは。
「かぎあな」の歴史にはまだ解明されていない謎が残っています。山あいの小さな集落には豊かな歴史とミステリーが息づいています。

その全容を解明するためには、もっと深い調査が必要かもしれません。
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