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地名をひもとけば歴史がわかる! 静岡駅北側に、かつて「鋳物師町」という地域がありました。素直に読めば「いものしちょう」ですが、別の読み方があるのでしょうか。地元の人々の記憶と資料を頼りに謎に迫ると、静岡市の産業の歴史まで見えてきました。
【画像】鋳物師町があった場所の地図も! この記事のギャラリーページへ地元の人に読み方を聞こう!
JR静岡駅の北側、伝馬町通りとつつじ通りの交差点周辺にあったという「鋳物師町」。この地名を見た時、多くの人は「いものしちょう」と読むでしょう。その読み方は正しいのでしょうか。
鋳物と言えば、溶かした金属を型に流し込んで、冷やして固めた製品のこと。身近なものでは食器や鍋、自動車の部品にも鋳物があります。
にむらあつとリポーターは、地元の人になにか情報がないか聞いてみました。声をかけた男性は読み方を知らなかったものの、伝馬町通りにある老舗の生花店の4代目でした。
創業は戦前という生花店、父親である3代目・石部茂さんに話を伺うと、興味深い情報が得られました。
イシベフラワー・3代目 石部茂さん:
向こうの方は「いものしちょう」と言って鋳物が有名だった場所だと聞いています。うちはたくあん屋でしたが、このへんはみんな「たくあん屋」
漬物店から生花店へ意外な転身ですが、それは関係ありません!
地域の歴史を知る生花店・石部さんの情報では「いものしちょう」が有力となりました。
お宅に眠る資料を次々発見
地元の人々の記憶を頼りに調査を進めると、さらなる手がかりが見つかりました。
新しい店と歴史ある店が混在する伝馬町通りを歩いていくと、雰囲気のある外観のお店を発見。
明治40年創業の静岡県唯一のお灸専門店「小山忠次郎商店」です。117年の歴史があるお店なら手がかりがありそうです。
鋳物師町にまつわるものを店の人が見せてくれました。
それは徳川家康公が整備したと言われる「駿府九十六ヶ町」が書かれた手ぬぐい。そのひとつとして、鋳物師町も記載されていました。
小山忠次郎商店の人:
(Q.なんと読むのでしょうか)「いものしちょう」ですね、そうそうそう
ところが昭和元年創業の理容室「トコランテ」で見つけた昭和39年の資料では、すでに「鋳物師町」という地名は使われておらず、「伝馬町」という名称に変わっていました。
いよいよ読み方判明 専門家に聞く
これらの発見を受けて、静岡市の歴史・文化財に詳しい静岡市文化財課の熊谷すずみさんに解説を依頼しました。
静岡市 文化財課・熊谷すずみさん:
この地名は「いもじちょう」と読みます。伝馬町から日吉町の一帯ぐらいです。「いものしちょう」とも出てきます
つまり、正式には「いもじちょう」ですが、「いものしちょう」と呼んでいる文献もあるとのこと。鋳物を生産する技術者のことを「いもじ」とも呼びます。
さらに面白いことに、鋳物師町の痕跡が現在は遠く離れた清水区江尻東の公園に残っているんです。
その公園の名前は「鋳物師町公園」。
鋳物師町はかつて鋳物職人たちが集まって住んでいた場所でしたが、当時は火災が多かったため、約10km離れた清水区の江尻宿へ移転したという歴史があったのです。
受け継がれる鋳物の技術
鋳物師町の歴史は、現代にも脈々と受け継がれています。鋳物師町で創業した栗田産業(静岡市駿河区)は、現在も鋳物を作り続けている会社です。
鋳物師町生まれ、鋳物師町育ちの栗田産業。副社長の栗田圭さんは次のように語りました。
栗田産業・栗田圭副社長:
弊社は明治23年に鋳物師町で創業した鋳物屋さんなんです。当時は「栗田鋳造所」という会社名でした
栗田産業のショールームには創業者が使っていた100年前のはんてんが飾られています。
134年の歴史を持つ栗田産業は、鋳物師町で生まれ、昭和21年に現在の場所に移転しました。当時は鍋や釜など煮炊きに使う炊飯道具を作っていました。
今では工業製品から日用品まで、幅広い鋳物製品を製造しています。
折りづるの形をした箸置きや、ゴジラの頭の形をしたぐい呑みなど、ユニークな形の商品も鋳物の繊細な技術があるからこそ作れます。
栗田産業・栗田圭副社長:
最近では、ゴジラやミニ四駆など、趣味に働きかけるような面白いものも作っています。静岡の鋳物がすごく面白いと言ってもらえるようになりたいですね
地名に刻まれた歴史と産業の記憶
「鋳物師町(いもじちょう)」という地名は、静岡の街の歴史と産業の変遷を物語っています。読み方の謎に始まった調査から、職人たちの技術と暮らし、そして現代に至るまでの産業の発展が明らかになってきました。
今ではその名前は消えてしまった鋳物師町ですが、かつての鋳物師たちの息吹は、栗田産業のような企業によって今も受け継がれています。地名は変わっても、その精神は静岡の街に生き続けているのです。
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