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【難読地名】焼津の「策牛」なんと読む? かつて川を守っていた「聖牛」がいた

難読地名を深掘りすると歴史が見える。今回は、静岡・焼津市にある「策牛」を調べました。読み方は「さくぎゅう」でも「さくうし」でもありません。地元の人は、名前はすぐそばにある川に関係していると話します。

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地元の人でも由来は知らず

まずは焼津に長く暮らしている人が多い焼津さかなセンターで聞き込み調査をします。

にむらあつとリポーター 焼津さかなセンターで聞き込み

地元というだけあって「策牛」読める人は多くいました。

正解は「むちうし」です。

しかし由来まで知っている人はいません。

聞き込みを続けていると、手掛かりとなりそうな情報を入手。さかなセンター北側を流れる朝比奈川の水門に立て看板があり、由来が書いてあった気がする、とのこと。

ヒントになりそうな看板

難読地名「むちうし」はさかなセンターから2kmほど北に行った所にあります。

教えてもらった朝比奈川の水門付近を探してみると、「策牛」と書かれた看板を発見しました。

「むちうし」の由来解明かと思い読んでみますが、策牛の由来は見当たりません。

看板は太平洋戦争時、朝比奈川周辺に着弾した爆弾でできた淵「バクダン淵」の由来を示すものでした。

昔は「ぶちうし」と呼んでいた

この看板を設置した「焼津市 山の手未来の会」に、手がかりを求めて電話をしてみることにしました。

山の手未来の会・牧田久雄さん:
(Q. 策牛の名前の由来を知っていますか)
あまりよく分からないですが、子供の頃は「むちうし」と言わなくて「ぶちうし」と呼んでいました

かつて策牛は「ぶちうし」と呼ばれていたことが判明。由来を探るヒントになりそうです。

さらに、牧田さんは策牛の生き字引こと勝岡竹雄さんを紹介してくれました。

元気な笑顔で迎えてくれた勝岡竹雄さんは88歳。生まれも育ちも策牛と、生粋の策牛人です。

川の淵と牛に似た構造物が由来説

勝岡さんによると、かつて「ぶち」と呼ばれていたのは「」に関係しているのではないかということです。

策牛の生き字引・勝岡竹雄さん:
朝比奈川沿いに淵が何カ所もあったと思うんですよ。その淵じゃないかという人がいました

「策牛」は朝比奈川沿いに「淵」が多かったことから「ふちうし」や「ぶちうし」と呼ばれていたものが変化して「むちうし」になったというのです。

では「牛」は何に由来しているのでしょうか。

策牛の生き字引・勝岡さん:
朝比奈川は暴れ川で、土砂が流れてくるので水の勢いを止めるようなものを作ったんですよ。そういう「牛」みたいなのが確かにあったんですよ

「牛みたいなもの」とはいったい? さらに詳しく調べるために、民俗資料館を訪ねました。

「牛」の正体は

焼津市歴史民俗資料館の学芸員・藁科優生さんによると、牛とは護岸設備の「聖牛(せいぎゅう)」と呼ばれるものでした。

焼津市歴史民俗資料館・藁科優生さん:
洪水の対策として、石や木を組み合わせて三角錐のような形のものを築いて護岸に置いたものを聖牛といいます

護岸施設の「聖牛」

川の氾濫を防ぐ聖牛。上部が牛の角のように見えることから、そう呼ばれているそうです。

元々の地名「良知」から転じた説

資料館の藁科さんによると、別の説もありました。

焼津市歴史民俗資料館・藁科さん:
もともと策牛は「良知郷(らちごう)」に入っていた集落の一つです。良知は柵や仕切りを意味する埒(らち)からきていて、牛を育てていた場所から転じて「策牛」となったという説があります。

牛を育てていた地域で、「らち」が「むち」に転じたという説が2つ目です。

ということで、朝比奈川に多くあった「淵」と牛の姿に似た「聖牛」という設備が語源という説と、「良知郷(らちごう)」の「らち」が「むち」になったという説の二つが存在していました。

地名の裏に歴史あり。民俗資料館としても策牛について、さらなる資料や情報を集めています。

■施設名 焼津市歴史民俗資料館
■住所 静岡県焼津市三ケ名1550
■開館時間 9:00 ~17:00
■休館 月
■問合せ 054-629-6847

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