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静岡県焼津市にある「惣右衛門」という地名。その由来を調べると日本史を揺るがしかねない驚きの証言を耳にしました。
徳川家康と親交が深かった良知惣右衛門
約1000年前に焼津の地に根を下ろし、現在に至るまで31代続く良知家。

古くは庄屋をまとめる“大庄屋”として地域を束ね、高草山の山頂まで人の土地を通ることなく登れたと言われています。
地名の由来となった「良知惣右衛門」は明治時代を生きた人物で、村の領地争いを抑えるため自らの名前をこの地に付けました。
ただ、「惣右衛門」という名前は良知家の当主が代々受け継いでいる名前で、江戸時代初期を生きた「惣右衛門」は徳川家康と親交が深かったそうです。
このため、第31代当主・良知淳行さんの自宅には家康の植えた松が今もそびえたっていて、淳行さんによると家康は当地を訪れ、領地や将軍に関することなど、いわば政治的な密談を行っていたと言われています。

また、口伝ではあるものの、家康が幼い頃には良知家が人質として預かっていたというエピソードも…。
徳川家康の“最期”に異説
そんな良知家には今も貴重な品々が眠っていて、まず見せてくれたのが古い大きな木箱。

中には茶つぼが納められていて、良知家が駿府城へお茶を献上する際に使っていたそうです。

さらに、3代将軍・徳川家光の腹掛けや徳川家康の陣羽織も…。

この陣羽織はなんと徳川家康が“最期”に着ていたもので、火縄銃で撃たれた後、良知家に担ぎ込まれた時のものだとされています。

一般に家康の死因は田中城(現在の藤枝市)で食べた鯛の天ぷらが原因で体調を崩したという説や胃がんだったという説など諸説ありますが、良知家に伝わる異説が“暗殺説”。
淳行さんの話では、暗殺の事実が世間に広まり、農民の生活が再び不安定になってしまうことを危惧した良知家が、その事実を伏せたと言われています。
「惣右衛門」の地名の由来を調査した結果、思わぬ形で歴史ミステリーに出会いました。
