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静岡市民が「札ノ辻」と呼ぶ場所はむかし なぜそう呼ぶのか由来を調査

静岡市の中心部、伊勢丹前の交差点は「札ノ辻(ふだのつじ)」と呼ばれています。しかし不思議なことに、静岡市内に「札ノ辻」という住所は存在しません。なぜ札之辻と呼ばれるのか調査しました。

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市民に聞いてみても「知らない」

JR静岡駅を北に向かい、繁華街の呉服町通りを歩いて行くと、百貨店の静岡伊勢丹がある交差点に着きます。

札ノ辻の交差点(静岡市葵区呉服町)

この交差点の名前は札ノ辻。向かいの商業施設も「札の辻クロス」という名前が付いています。しかし、こここの町名は「呉服町」。札ノ辻ではありません。

札ノ辻という名前は、どこから来たのでしょうか。謎を解き明かすため、まず街行く人々への聞き込みをしました。

市民へのインタビュー
市民に札ノ辻の由来を聞いてみますが

ところが、静岡市民は「札ノ辻」は知っていても、その由来は知りません。「お札の『札』が入っているので、銀行があったのでは?」と予想する人もいましたが、はたして。

街中に残る歴史の痕跡

札ノ辻交差点を七間町方面へ歩くと、すぐに石碑を発見しました。そこには「札ノ辻町」と刻まれています。

さらに別の石碑には「札之辻址」の文字も。その説明書きはだいぶ薄くなっていますが、ここに札ノ辻町がありましたと書かれているのです。

そう、昔は札ノ辻町があったのです。

札之辻址の石碑を見つけた大森アナ

さらに静岡伊勢丹の横には、いかにも歴史と関係がありそうな木製の掲示板が設置されています。

この掲示板が札ノ辻町とどう関係するのか。詳しい話を聞くため、静岡の歴史に詳しい観光ガイドの駿府ウエイブ・内山和俊さんに来てもらいました。

復元された高札場

江戸時代から続く地名の秘密

内山さんによると、江戸時代からこの地域には札ノ辻町があったそうです。

駿府ウエイブ・内山和俊さん:
江戸時代から昭和20年まで、札ノ辻の交差点を中心に呉服町、七軒町の一部を札ノ辻町と呼んでました。ここは東海道がちょうど通っていたので、非常ににぎわいのある場所でした

駿府ウエイブ 内山和俊さん

では「札ノ辻」という名前の由来は何なのでしょうか。内山さんは木製の掲示板を指して答えます。

駿府ウエイブ・内山和俊さん:
札というのは、この高札です。今低い位置にあるんですけども、高い位置にあった札ということで高札(こうさつ)と言われてるんですね

実際には地上から約3mの高さに立てられていた高札。高札が立っているところを「高札場(こうさつば)」と呼んでいました。

復元された高札場

辻というのは道路が交差する場所を辻と昔から呼びます。ここは四つ角。つまり「札ノ辻」とは、高札が立つ辻のことでした。

1800年頃に作成された駿府城下町の地図には、現在の札ノ辻交差点周辺に、はっきりと高札場が描かれています。現在ある位置ではなく、道のまん中に立てられていたことがわかります。

高札場が描かれている「五海道其外分間延絵図並見取絵図」

高札は江戸幕府からの重要なお知らせ

では、この高札場には実際にどのようなことが書かれていたのでしょうか。

高札は江戸時代、幕府の政策などを庶民に知らせるために設置されていました。

伊勢丹に再現された高札は、駿府の宿の隣にある丸子宿で見つかった高札を2023年に復元したものです。5代将軍綱吉の時代のものでした。

そのうちの1枚が「忠孝奨励諸法度」です。

札に書かれていた忠孝奨励諸法度

その内容は「喧嘩、口論をしない」「もし喧嘩があっても、その場へみだりに出向かな」など、現代にもつながる内容です。

駿府ウエイブ・内山和俊さん:
みなさん仲良くしましょうということで、現代にもそれが通じるということで、この忠孝奨励諸法度を掲げてあるわけです

札ノ辻の高札場はI Love しずおか協議会が設置

江戸時代の教えが、現代にも通じる内容として今に受け継がれているのです。

地名を探れば歴史がわかる! 静岡の過去と現在がつながっている交差点「札ノ辻」は、当時の人たちの足音や話し声が聞こえてきそうな場所でした。

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