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江戸時代の“メディア王”・蔦屋重三郎を描いた大河ドラマ。その登場人物の1人が静岡にゆかりがあると聞いていて調査をスタート。それは、静岡市葵区に本社を構える吉見書店につながっていました。
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへ狂歌ブームをけん引した大田南畝
静岡にゆかりの人物とは、蔦屋重三郎とともに狂歌ブームを牽引した狂歌師・大田南畝(おおた なんぽ)。
狂歌は当時、社会現象にもなっていました。南畝は大河ドラマで桐谷健太さんが演じている、明るくてちょっとお調子者の、センスがある人物です。

狂歌とはその時代の世相を面白おかしく風刺する5・7・5・7・7の歌のこと。川柳は狂歌の5・7・5バージョンです。大田南畝は幕臣(武士)でありながら、いまでいう「超売れっ子作家」でもありました。
しかし、大田南畝は江戸の武士。どのように静岡とのつながりが生まれたのでしょうか。
創業者は大田南畝のおいの子孫

大田南畝とつながりがあるという、静岡市葵区・七間町通りに本社を構える吉見書店を訪ねました。
対応してくれたのは吉見佳奈子専務です。
吉見書店・吉見佳奈子 専務:
弊社の創業者、吉見義次の曽祖父が大田南畝のおいにあたります

創業者の先祖様をたどっていくと、曽祖父の紀定丸(きの さだまる)、本名・吉見義方は大田南畝の姉の子供。大田南畝のおいっ子です。
吉見さんは、大田南畝のおいから数えて7代あとの子孫になります。

吉見書店・吉見佳奈子さん:
大田南畝と紀定丸は叔父、おいではありますが、年齢差が11歳ぐらいで、そこまで開いていません。大田南畝の息子の家庭教師役もしていました
江戸時代に描かれた挿し絵にも、蔦屋重三郎と大田南畝、創業者の曽祖父にあたる紀定丸が狂歌を楽しんでいる様子が描かれています。

徳川慶喜とともに静岡へ移住
ではなぜ江戸にいた吉見家が静岡に来ることになったのでしょうか。
吉見書店・吉見佳奈子さん:
明治維新によって幕臣がリストラされたときに、創業者(義次)一家が徳川慶喜公に従って静岡に来ました

江戸幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還。その後、最後の将軍・徳川慶喜は静岡市の宝台院(ほうだいいん)で謹慎生活を送り、謹慎が解かれたあとも静岡にとどまりました。
大政奉還のとき、8000人から1万人の幕臣が江戸から静岡へ移り住んだといわれており、創業者家族もともに移りました。
江戸の笑いを静岡へ
静岡に移り住んですぐに書店を開いたのでしょうか。
吉見書店・吉見佳奈子さん:
最初、創業者の義次は静岡学問所で教師として働きました。

書店を開いた理由については、創業者の書店魂が燃えたのもあったようです。
吉見書店・吉見佳奈子さん:
やはり創業者も狂歌師名みたいなのがあって、雑誌を出していました。やはり江戸の笑いを、静岡でもという思いがあったのではないかと思っています

自宅から発見された貴重な史料
1879年(明治12年)、初代・義次が書店を開いてから、静岡とともに歩んできた吉見書店。2029年の150年の節目に向けて、改めて歴史をひもといているそうです。
吉見書店・吉見佳奈子さん:
2024年12月の初めと2025年2月にいろいろ発見がありました。あると思っていなかった資料が結構出てきました

それは吉見さんの家の、使われていない部屋の納戸から見つかったそうです。
その貴重な史料のひとつが、紀定丸が書き記した「江戸の名所・三十六首」です。その存在自体は書物に記されていましたが、静岡大火や戦火で、長らく失われたと思われていたそうです。それが吉見さんの自宅から発見されました。
吉見さんは「これからまたいろいろ発見があると思います」と、150年の節目に向けて期待を膨らませていました。

吉見さんの自宅から発見された史料「江戸の名所・三十六首」は、静岡・藤枝市郷土博物館で2025年11月8日から始まった企画展「江戸の仕掛け人 蔦屋重三郎」で展示されています。
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