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静岡・伊豆の国市にある世界文化遺産「韮山反射炉」の周辺で、日本で最初に焼かれたというパンが売られています。食べてみると口の中に衝撃が! 全く“歯が立たない”日本初のパンと、深い歴史の謎を解き明かしていきます。
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「朝食には不向き」という謎の注意書き
伊豆箱根鉄道・伊豆長岡駅から東に約1.3km。世界遺産「韮山反射炉」に来ました。
近くにある「反射炉物産館たんなん」の入り口で、「パン祖のパン」の看板が目に入りました。
日本で最初に焼かれたパンとのことですが、興味深いのは、そこに書かれた「明日の朝のパンには不向きです」という不思議な注意書き。

朝食の定番であるパンに「不向き」というのは、どういう意味なのでしょうか?
店内で「パン祖のパン(170円)」を発見。
さっそく購入してみると、見た目は平たい円形の素朴そうなパンでした。

物産館の岩﨑智恵さんに確認すると、これは間違いなく日本初のパンなのだそうです。
反射炉物産館たんなん・岩﨑智恵さん:
反射炉を建てた江川太郎左衛門さんが、農兵のお弁当として初めてパンを焼いたんですね。その当時のものを再現しました

さっそく「パン祖のパン」を食べようとすると、驚きました。まるで石のように固いのです!
お皿に打ち付けるとコンコンという固そうな音が響きます。
かじっても簡単には歯が立ちません。カンパンをさらに乾燥させたような食感です。

「朝食に不向き」という注意書きの意味がようやく理解できました。あまりにも固すぎて、これを食べていると遅刻してしまうからだそうです。
当時の人々は、お茶に浸してふやかして食べていたそうです。

しかし、かめばかむほど小麦の風味が口の中に広がり、時間をかけて味わう楽しみもありました。
日本初のパンは、どうしてこんなに固いのでしょうか。それには、壮大な歴史的背景があったのです。
■施設名 反射炉物産館たんなん
■住所 静岡県伊豆の国市中272-1
■電話 055-949-1208
■時間 9:00~17:00
■定休日 無休
反射炉とパンの意外な共通点は「日本を守る」
岩﨑さんによると、このパンを作った江川太郎左衛門英龍は地元の代官だったそうです。
もっと詳しく知るために、伊豆の国市内にある江川邸を訪ねることにしました。

江川太郎左衛門英龍は、蘭学をいち早く取り入れて功績をあげ、韮山代官から異例の出世を遂げた人物です。
韮山反射炉と日本初のパン。どのようなつながりがあるのでしょうか?
江川邸 学芸員・橋本敬之さん:
全て「日本を守るために」ということで、つながってくるんですよ

日本を守るために固いパン?
大砲を作る施設である「韮山反射炉」は理解できるのですが、パンといわれてもピンと来ません。

橋本さんは、当時の国際情勢が背景にあると指摘します。
19世紀中頃、産業革命を経た欧米諸国のアジア進出が活発化していました。
黒船来航に象徴されるように、日本も外国船による開国の圧力に直面していたのです。
江川邸 学芸員・橋本敬之さん:
外国に攻められた時に日本をどうやって守ろうか。その時に軍隊が常に持って歩けるパンということで、携行食ですね

反射炉は外国に対抗するための大砲を製造する施設。
パンは兵士が常に携帯できる保存食。
どちらも江川太郎左衛門英龍が、国防のために導入したものだったのです。
甘くて柔らかい幻の試作品「カネールコック」
江川太郎左衛門英龍がどのようにしてパン作りの方法を知ったのかも、非常に興味深い点です。
橋本さんによると、語学に堪能だったので、オランダからの書物を読んで知識を得ました。

さらに、パンを作っていた長崎の出島で働いていた職人を呼び寄せて作らせていたということです。
まさに、当時の最先端技術を柔軟に取り入れた人物だったと言えるでしょう。

江川邸には江川太郎左衛門英龍の直筆の資料も残されています。小さな帳面には、パンの作り方が記されていました。
その冒頭に「カネールコック」という文字が確認できます。
オランダ語で「カネール」はシナモン、「コック」はケーキ。つまりシナモンケーキのことです。

これは当時の試作段階のメモで、この翌年に、あの「パン祖のパン」を作るに至ります。
江川邸では、この試作品「カネールコック(150円)」も販売されていました。

歯が立たなかった「パン祖のパン」に懲りているにむらリポーター。
また歯をやられてしまうのではと、恐る恐る食べてみると、全然固くない!

カネールコックはシナモンの香りがする柔らかいケーキのような食感です。甘くしっとりしていて、とてもおいしいものでした。
では、なぜこのおいしいカネールコックではなく、固いパン祖のパンが、兵の保存食に選ばれたのでしょうか。

江川邸 学芸員・橋本敬之さん:
甘くて食べ飽きてしまう。やっぱり携行食には合わない
兵士たちが長期間食べ続けることを考慮した結果、質素で実用的な「パン祖のパン」が採用されたのです。
日本のパンが始まった部屋
橋本さんによると、私たちが話を聞いた部屋こそが、日本のパンの歴史が始まった場所でした。

この部屋では、幕末に多くの優秀な人材を輩出した「韮山塾」が開かれていました。
海防などの兵学をはじめ、多岐にわたる学問を学ぶ中で、パンを作ろうという話も持ち上がったに違いありません。

無骨な反射炉とモダンなパン。
一見すると全く異なるものに見えますが、両方とも江川太郎左衛門英龍の先見の明と深い洞察から生まれたものでした。

欧米列強の圧力に対応するため、最先端の技術と知識を取り入れて日本を守ろうとした英龍の功績は、今でも伊豆の国市・韮山の地に息づいています。
■施設名 江川邸
■住所 静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地
■電話 055-940-2200
■時間 9:00~16:30
■定休日 水 年末年始(12/31~1/1)
■入場 大人750円
小中学生300円
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