目次
在宅ホスピス医として、100歳の女性の最期を支えた内藤いづみさん。家で母を看取ることに恐怖と悲しみを感じていた娘でしたが、最期は誇らしい気持ちで送り出せたといいます。見事な看取りとなった裏側にはどんな支えがあったのでしょうか。

テレビ静岡で3月30日に放送されたテレビ寺子屋では、在宅ホスピス医の内藤いづみさんが、見事な看取りができた親子のエピソードを語りました。
人生の最終章に母娘の“自立”を支援
在宅ホスピス医・内藤いづみさん:
私は山梨県で30年以上「在宅ホスピス医」として活動しています。
ある日、娘夫婦と同居している98歳の女性が外来に来ました。膝が悪く少し歩くのは大変そうでしたが、娘さんが栄養を考えた食事を作り、自分は朝からラジオ体操をして、規則正しく暮らしていました。娘さんは一生懸命お母さんを見ていて、離れて暮らしたことがありませんでした。

私たちは、まずその方たちの「課題は何かな?」と考えます。すると、人生の最終章を考えたとき、母と娘が自立して旅立てるような助けが必要だと思いました。
お母さんが亡くなったら、お母さん大好きな娘さんの半分以上が取られてしまう。その後はとっても大変な人生になるかもしれません。娘さんは「私は家で看取れません。怖くて悲しくて、その時は入院させると思います」と言っていました。

がんの宣告を受けた母の決断
そのお母さんが100歳になったときに乳がんが見つかりました。悪性度の高いがんだったため、専門医が手術や抗がん剤治療を提案してきました。「このがんは大きくなる。破裂するかも」と言うんです。怖いですよね。
母と娘は迷った末に積極的な治療はしないという決断をしました。

お母さんがホスピスケアの患者になったのに、娘さんはちゃんと介護しています。「大丈夫そうだな」と、私たちはひっそり見守っていました。
娘さんはユニークな方で、がんにあだ名を付け、「朝、お母さんとラジオ体操して、がんをなでて『しずかちゃん、お母さんがあっちに行くまで静かにして』って言うんですよ」と教えてくれました。
お母さんはしずかちゃんと共に暮らし、痛みが出たら痛み止めを少しずつ飲んだりしながら、お家で過ごすようになりました。「先生もう怖くないよ。ただね、私が逝ってもね、娘とは仲良くしてあげてね」と頼まれました。お母さんって偉大ですね。

危篤状態でも感じなくなった恐怖
しばらくすると、「昨日、父ちゃんとお母ちゃんが来た」「いとこも幼なじみも来た」とお母さんが言い出しました。あの世の人が夢にでてくるお迎え現象です。
そして、「今日は大きな集まりになるから、来た人みんなに赤飯を持たせたい」と娘さんは言われたそうです。

「先生、もう死ぬんでしょうか?」と心配しながらも、赤飯を作りました。「お母ちゃん作ったよ」と言うと、もうだんだん危篤になっているお母さんが目を開けて「ありがとう、よかった」って。
娘さんは「先生、あっちへ行くっていうのは一種のお祭りですね。お母さんも怖くないって言ってるし、私ももう怖くなくなった」と言いました。
いってらっしゃいで看取った最期
そして、静かに息を引き取りました。
娘さんは「先生がもう危篤だと言ったんで、『お母ちゃんいってらっしゃい』って言えました」と。
「さよならなんて絶対言えない」と言っていた人が「いってらっしゃい」と言えたんです。見事な看取りでした。

その後も打ちひしがれることなく、「お母さんを立派に向こうに送り出した」という誇らしい気持ちで今をお過ごしです。本当にお役に立ててよかったなと思います。
死亡診断書をもらうときに、「人生の卒業証書」と考えただけで、誇らしい気持ちが家族にわき上がるように感じています。

内藤いづみ:1956年山梨県生まれ。福島県立医大卒業。1995年甲府市にふじ内科クリニックを開業。命に寄り添う在宅ホスピスケアを30年以上にわたって実践し、自宅での看取りを支えている。
※この記事は3月30日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
【もっと見る! テレビ寺子屋の記事】