婦人のからくり時計 1987年の映像
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七間町にあった「からくり時計」は天気予報ができる人形だった【葵区】

静岡の今と昔を調査。今回の舞台は静岡市葵区の「七間町名店街」、1987年の映像から人形がくるくる回る「からくり時計」を探します。調査をすすめると、天気予報ができたこともわかってきました。

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1987年の映像から場所を推理

テレビ静岡の資料室
テレビ静岡の資料室

1968年に設立されたテレビ静岡。資料室には開局から56年分の取材の記録が保存されています。

その動画を手がかりに静岡の今と昔を調査。今回は子供たちに大人気だった、商店街のシンボルに関する映像です。

1987年のある映像を見ると、まっすぐ続く商店街が映っています。いろいろな店が連なっていますが、おそろいの木目調看板に、木のベンチ。なかなかオシャレな通りです。

テレビ静岡大森万梨乃アナウンサー:
人形がくるくる回っている時計があります。「七間町名店街からくり時計」と書かれています。七間町にこんな時計はあったでしょうか

からくり時計の映像を見る大森万梨乃アナウンサー
からくり時計の映像を見る大森万梨乃アナウンサー

静岡市の街中にある七間町の商店街だと早くも判明。しかし、大森アナの記憶に時計はありません。

子供たちが見上げるほどの高さの大きな時計、今あれば見かけたことを覚えているはずですが。

現在からくり時計の姿はなし

小学生がからくり時計を見ている映像

まずは昔の映像を参考に、七間町で「からくり時計」の手がかりを探します。

大森アナ:
画像を見ると、からくり時計がある場所だけアーケードの屋根がない。アーケードがない場所を探せばいいのではないでしょうか

七間町を歩き、アーケードのない場所にたどり着きました。それはホテルの前。

過去の映像を見ると「からくり時計」の位置は、商店街にあるホテルの前で間違いなさそうですが、残念ながら現物は見つからず。

どうやら現在はなくなってしまったようです。からくり時計はどこに?

からくり時計を知っている人発見

七間町名店街の方に聞き込みをすることにしました。看板に1924年と書かれた、創業100年を超えた店「トンボヤ」に入ってみます。

トンボヤ・久保耕介さん:
(このからくり時計を知っていますか?)もちろん知っていますよ。1984年に街並みの整備をした際に設置されたので

右)トンボヤ・久保耕介さん
右)トンボヤ・久保耕介さん

トンボヤの久保耕介さんによると、それは推理したホテルの前の場所で間違いないそうです。当時は北ワシントンホテルがあった場所。

現在も歩道の大理石の色が少し変わっているので、位置がわかるとのこと。

もう一度ホテルの前に行ってみると、確かに「からくり時計」の痕跡がありました。

地面にからくり時計のあった痕跡が四角く残る
地面に四角くからくり時計の痕跡が

「天気予報」ができる人形だった

子供たちに大人気だった七間町の「からくり時計」ですが、設置から10年ほどで撤去されることに。それにはなんとも残念な理由がありました。

トンボヤ・久保耕介さん:
とにかく故障が多くて、よく修理していました。その記憶の方があります

トンボヤ・久保耕介さん「故障が多かった」

故障続きで撤去されてしまった時計ですが、人形は現在も保管されているそうです。

久保さんに頼んで見せてもらいました。

連れて行かれた先にあったのは、青い服を着て傘を差した女性の人形、だけではありません。ピンクの服の女の子、シルクハットをかぶった紳士。合計3体がセットだったのです。

婦人の像、紳士の像、少女の像
保存されていた3体の人形

実はある仕掛けが施されていたそうです。

トンボヤ・久保耕介さん:
ある一定の時間になると、これから先の天気予報によって3体から1体が選ばれて、上に上がってくるんです

人形をよく見る久保さんと大森アナ
人形の足下は歯車が付いていました

「からくり時計」は、10時間後の天気を予報することができたそうです。トンボヤの久保耕介さんは、気圧のセンサーがあったのではと予想します。

「晴れ」は女の子、「曇り」は紳士、「雨」は貴婦人の人形が、音楽に合わせて踊るという仕掛けが付いていました。

「雨」予報の婦人の人形

もっと思い出深いのは「地球ネオン」

さらに久保さんは、七間町にあったオブジェで、もっと思い出深いものがあると言います。

それは「七間町の地球ネオン」です。

大きな地球儀で、夜になるとネオンがともっていたそうです。

当時の写真が展示されている施設があるということで、久保さんと一緒に見に行きました。

入場無料のスペース「七間町ファミリーパーク」(3月20日まで)で、写真展示を見ることができます。

七間町ファミリーパークにある地球ネオンの写真
地球ネオンの写真(七間町ファミリーパーク)

トンボヤ・久保耕介さん:
この界隈は昭和15年の静岡大火と昭和20年の大空襲で焼け野原になっているんです。やっと復興し、街のシンボルになるものを作ることになりました

地球ネオンの完成は1953年。商店街の中心にあったそうです。

大森アナ:
すっごい派手ですね

カラー化した地球ネオンの写真
カラー化した地球ネオンの写真

大森アナが見たのは、当時の新聞を調べた情報をもとに、モノクロをカラー化した写真です。青い地球に「七間町」と書かれた赤い看板。ピンクや黄色も。

地球儀の直径は2m80cm。光りながら1分間に2回転していたそうです。

トンボヤ・久保耕介さん:
14年間七間町にあったので、地球ネオンは思い出に残っている方が多いですね

地球ネオンの展示写真
地球ネオンの展示写真

それにしても個性的な形。なぜこの形になったのでしょうか。

1953年にイギリスのエリザベス女王が戴冠式をむかえ、当時は王冠のような形がブームになっていたと久保さんは話します。

静岡高校が1960年に高校野球で全国準優勝したときのパレードでも、地球ネオンの下を通りました。

静岡学園の準優勝パレード写真

写真を撮る人も、象徴的な地球ネオンを写真の中に一緒に収めようとしたのでしょう。時代を映す1枚として、写真の中にも記憶の中にも地球ネオンは残っています。

昔の動画からたどり着いた、天気予報をするからくり時計、そして復興のシンボル「地球ネオン」。七間町の歴史の流れを感じることができました。

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