12月25日に死去した自動車メーカー・スズキの鈴木修 相談役。スズキを世界的企業に育て上げたカリスマ経営者としての顔のほか、静岡県内の政財界に絶大な影響力を持ち続けました。
1月6日、仕事始めの日を迎えた静岡県浜松市中央区にあるスズキの本社。
続々と従業員が出勤してくる中、社屋の前には弔意を表す半旗が掲げられていました。
スズキの従業員:
非常に残念に思う。(鈴木修 相談役が)いつも言っていたようにやる気を持ってこれからも頑張る
12月25日に94歳で亡くなった鈴木修 相談役。
現在の愛知銀行での勤務を経て、1958年、2代目の社長に見込まれ取引先だった鈴木自動車工業に入社し、1978年に48歳で社長に就任しました。
鈴木修 社長:(1988年当時)
その時代の環境というか、時代の流れも幸いした場合もあるし、あるいは逆に足を引っ張った問題もある
軽自動車のアルトを大ヒットさせて世界進出を果たし、特にインドでは他を圧倒するシェアを獲得するなど社長就任時に売上高3000億円規模だった会社を3兆円企業にまで成長させました。
インドのモディ首相もSNS上で「インドへの深い愛情とマルチ社の協力はインドの自動車市場に革命をもたらしました」と日本語を使った哀悼の意を示しました。
一方でその力は政界にも及びました。
自らが審議会の会長だった浜松市の行財政改革を巡って当時の北脇保之 市長と激しく対立。
鈴木修 会長:(2006年当時)
企業経営者は3カ月毎に決算を出して判断を受けている。「3期12年待って下さい」なんて考えられない
衆議院選挙での当選を目指し活動中だった現在の鈴木康友 知事に浜松市長選への立候補を要請。
2007年に北脇氏との苛烈な選挙戦を経て当選に導きました。
鈴木康友 知事:(2024年12月27日)
私にとっては1999年の最初の選挙から20年以上にわたり公私とも大変世話になった“おやじ”みたいな存在であり、本当に今ものすごく喪失感でいっぱい
さらに知事選にも深く関わりました。
鈴木修 会長:(2017年当時)
ぜひ1つ、この川勝候補に1票を入れてもらう
知事選でも常に候補者の擁立や立候補判断の中心には鈴木修 相談役が…。
川勝平太 前知事を一貫して支え、浜松市の新野球場建設など要望を重ねるなど蜜月関係を築きました。
さらに県内にとどまらず、菅義偉 元総理や自民党・二階俊博 元幹事長などとパイプを持つなどフィクサーとしての存在感を放ちました。
そんな大きな影響力を持ちながらも自らを「中小企業のおやじ」と称し「“修”節」といわれる発言や愛嬌ある言動も多かった鈴木修 相談役。
鈴木修 相談役:(2021年3月当時)
最後ですから、ごきげんよう。軽自動車の芸術品は守り通してほしい
94年の生涯を終えた鈴木修さん。
後日、お別れの会が開かれる予定です。