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災害関連死も含めて死者489人、住家被害は14万9724棟(2024年12月24日時点の消防庁まとめ)に上った能登半島地震は1月1日で発生から1年を迎える。新年早々に起きた大災害は多くの人の人生を一変させた。
能登半島地震により移住を決断
浜松市浜名区に住む松尾和広さん(51)。
能登半島地震を機に石川県輪島市から移住してきた。
発災当時のことは鮮明に覚えていて「ガシャンガシャン音が聞こえてくる。(自分がいた)玄関の裏に物置小屋があり、そこの食器棚に仕事道具もいれてあって倒れてきているな」と振り返る。
松尾さんは元々、糖度の高さが有名な全国でも評判の甘栗をつくる栗農家で、栗園自体は栽培を続けられる状態だったが自宅 兼 作業所が全壊。
作業所の再建に必要な費用を尋ねたところ1億円以上要することがわかり、「厳しいというか無理だな。終わったなと思っていた」という。
このため、家族と共に能登の地を離れることを決断した。
そこに“栗”があるから
それでも栗がつないだ縁がきっかけで、現在は遠州地域でとれる和栗のブランド化などに取り組むプロジェクトに参画。
これまでの経験を活かして栽培のノウハウなどを伝えている。
また、加工品の開発や復興支援の一環として、輪島の栗をプロジェクトが買い取ってくれることになり、2024年10月には“最後の栗拾い”のため能登にある自身の栗園へと向かった。
この時、こみ上げてきたのは寂しさよりも“感謝”の思い。
ふと「本当に失敗だらけだったので…ここの気にいっぱいいろいろなことを教えてもらった」とつぶやいた。
栗園は知人に譲ることになっていて、これまでのように頻繁に輪島を訪れることは無くなる。
松尾さんは「ここで死ぬと思っていたので信じられない」と口にしつつ、「向こう(浜松)で『こっちの仕事に専念し、能登のことを忘れてくれ』と言われたら絶対に行かなかった。能登を見捨てずに済み、さらにもっと良い方向に行ける」と話した。
自身を育ててくれた能登の地や人々に報いるためにも「本当に予期せぬ地震だったが予期せぬ第2の夢を与えてもらえた。遠州と能登という自分が関わる2つの地域で先行して成功事例を出し、その活動を日本全体に広めていけたらいい。いろいろな意味で自分の第2の栗農家人生のスタート」と前を向く。