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静岡県浜松市に本社を置く自動車メーカー・スズキは同社の世界進出に多大な功績を残した鈴木修 相談役が逝去したと発表した。鈴木相談役はカリスマ経営者としての一面に加え、政界に大きな影響力を与える“フィクサー”としての顔も併せ持っていた。
カリスマ経営者として名をとどろかす
スズキは12月27日、同社の鈴木修 相談役が悪性リンパ腫により25日に逝去したと発表した。94歳だった。
関係者によると鈴木相談役は今秋、インフルエンザに罹患して以降、体調が思わしくなかったという。
鈴木相談役は1930年岐阜県生まれで、中央大学法学部を卒業後、銀行勤務を経て1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。
現場主義を貫き自動車の排ガス規制で窮地に陥ったスズキを建て直したほか、軽自動車の「アルト」をヒットさせて世界進出を果たし、特にインドでは他を圧倒するシェアを獲得するなどスズキを世界的な企業に育て上げた。
政界の“フィクサー”としての顔も
このように鈴木相談役は“カリスマ経営者”として経済界に君臨したが、同時に政界にも強い影響力があった。
前述の排ガス規制をめぐっては県西部を選挙区とする旧静岡3区選出の故・塩谷一夫 元衆議院議員の協力が得られず犬猿の仲に。その冷え切った関係は息子の塩谷立 元衆議院議員になってからも続いた。
1999年に行われた浜松市の市長選挙においては、現職の栗原勝 市長(当時)が6選を目指す中、それを阻止すべく“後見人”として元自治官僚の北脇保之 氏を担ぎ出す。
しかし、北脇氏が2期目の任期を折り返したあたりから両者の間には溝ができ始め、市の行財政改革推進審議会が2人の亀裂を決定的なものとした。
浜松市では2007年4月1日からの政令指定都市移行にあたって7つの行政区の設置を決めていたが、鈴木相談役が会長に就いたこの行革審は2006年3月、北脇氏に対して「5年後には合区を前提に見直すこと」などを答申。
ところが、北脇氏はこれに首を縦に振らなかった。
後年、北脇氏は取材に対し「よく静岡市(浜松市より一足早く2005年に3区制の政令指定都市へ移行)を引き合いに出す人がいるが、静岡市は清水市との2市による合併。12市町村(浜松市・浜北市・天竜市・引佐町・細江町・三ケ日町・雄踏町・舞阪町・佐久間町・水窪町・春野町・龍山村)が合併した浜松市は、歴史や文化、地域性、人口などを勘案して7区制が最適と判断した」と述べているが、“盾突かれた”と感じた鈴木相談役は一気に“反北脇”へと舵を切り、対立候補として鈴木康友 氏(現静岡県知事)を擁立。
北脇氏を失脚へと追い込んだ。
鈴木康友 氏にとって鈴木相談役はまさに“後ろ盾”と言える存在で、通算4期に及ぶ市長選をいずれも最前線で支援。2024年5月に行われた県知事選でも自民党推薦候補が「特定の声に左右される行政ではいけない」と“相談役批判”を展開すると、グループを挙げての“康友支援”を呼びかけたといわれている。
また、かつては蜜月関係だったものの当時の自民党県連会長として城内実 経済安保担当大臣が候補者と同様に“相談役批判”をしたことを受け、2024年10月の衆議院解散総選挙の際は立憲民主党公認候補の支援に乗り出した。
さらに政界との関係性は県内にとどまらず、菅義偉 元首相や二階俊博 元自民党幹事長などとも個人的なパイプを有するなど稀代の“フィクサー”として大きな存在感を放った。
スズキは後日、お別れの会を開くことにしている。