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静岡県内最古の鉄道路線が港町・沼津にあるそうです。「蛇松線」というその名の由来、そして運んでいた意外なもの。静岡の鉄道の原点となった路線に迫ります!
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沼津の歴史に詳しい沼津市の学芸員・上野尚美さんに案内してもらい、さっそく調査を開始します。
沼津には東海道線の駅はありますが、港からかなり距離があります。港に「鉄道の歴史の原点」があるのですか?
沼津市 学芸員・上野尚美さん:
静岡県の歴史を語る上で重要なものがあります
上野さんの案内してもらい沼津港付近を歩いていくと、それはすぐに見つかりました。2本のレールのようなラインが、真っすぐ港から延びています。
大森万梨乃アナウンサーはよくこの辺りを歩いていますが、今回初めて線路に気づきました。
沼津市 学芸員・上野尚美さん:
ここ沼津には蛇松線(じゃまつせん)という路線が走っていたんです。蛇松線は静岡県内で一番古い鉄道なんです
そばには石碑もあります。「2120型タンク機関車」の写真とともにここに鉄道が走っていたことが記されていました。
かつて、沼津を走っていた「旧国鉄 蛇松線」。
1887年(明治20年)に開通し、廃線の1974年までの約90年間走り続けた、静岡最古の鉄道路線です。
蛇松広場で廃線の名残を探す
原点と呼ばれる理由は最も古いことだけではなく、この路線が果たした役割にもあるそうです。
蛇松線の名残をたどりながら、当時のことを学んでいきましょう。
沼津市春日町にある蛇松広場は最初に蛇松線の起点となった場所で、かつてここを走っていた機関車の車輪が展示されています。
名前の由来は、むかし蛇が地をはうような形をした松の木が生えていたからです。
線路があった場所は、「蛇松緑道(じゃまつりょくどう)」という、お散歩コースになっているんです。
そんな蛇松線、実は人を乗せる鉄道ではなかったそうです。
沼津市 学芸員・上野尚美さん:
開通当時はとても重要なものを運んでいました。それは「東海道線の建設資材」です
港から続くので、てっきり魚を運んでいたかと思いましたが、最初は鉄道建設のための役割を担っていたんです。だから「静岡の鉄道の原点」と言われるんですね。
明治20年頃、静岡区間が未開通だった東海道本線。西は浜松まで、東は神奈川県の国府津までしか、まだ東海道線は延びていませんでした。
静岡区間の開通には、多くの資材が必要でした。その資材が運び込まれたのが、港町・沼津。
船から降ろされた資材を建設予定地まで運んだのが、この蛇松線だったんです。
「蛇松線がなければ現在の東海道線はなかったと言ってもおかしくない」と上野さんは話します。
そして東海道線の完成後は、運ぶものが変わります。戦後しばらくして沼津の魚市場は、今の沼津港に移転したので、たくさんの海産物を運ぶのに便利なように、蛇松広場までだった線路は分岐して、沼津港まで伸長しました。
分岐後、蛇松線は「沼津港線」と呼ばれるようになったそうです。
沼津駅方面へ蛇松緑道を北上
明治から昭和の長きにわたり、沼津の発展とともにあった「蛇松線」。当時の機関車は、今とはいろいろ違ったそうです。
沼津市 学芸員・上野尚美さん:
ここは蛇松緑道と旧国道一号線が交差する場所です。今のような踏切がなかったので、蛇松線がまず一旦停止をして、安全を確保したうえで通行していたそうです。電車の方が車のために一時停止していたということになるんです
国道一号線を越えて、さらに線路は沼津駅に近づきます。あとは東海道線に合流するだけですが、蛇松緑道と東海道線の間にあるのが「沼津通運倉庫」です。
蛇松緑道の端にある1902年創業の沼津通運倉庫は、100年ほど前からこの場所にあり、実際に蛇松線を利用して荷物を運んでいた会社です。
現在もその敷地の中に当時の名残があるんだそう。
沼津通運倉庫・長谷川正三さん:
実はここにも線路がかつてあって、貨物を下ろして仕分けをしていた場所もあります
倉庫内にあったのは駅のホームのような場所でした。今は機関車ではなくトラックになりましたが、同じように荷物の積み下ろしの場所として使っているそうです。
蛇松線はそのままJRの敷地へとつながり、沼津駅の構内に入って合流するのです。
線路は現在の沼津通運倉庫にとって必要なものではありませんが、先代社長と今の社長が沼津の歴史を残したい、沼津の歴史に興味を持っている人にもこの線を見て欲しいと願い残したそうです。
例え鉄道がなくなっても、その思いは地元の人たちによって大切に受け継がれている廃線「旧国鉄 蛇松線」でした。
■スポット名 蛇松緑道
■住所 沼津市春日町(蛇松広場)
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