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「いのちまでかけて学校に行くことはない」 崖っぷちに立つ子供へ大人ができること【テレビ寺子屋】

子供の頃を振り返って、あの時は苦しかったという経験はありませんか。思春期特有の悩みに振り回される子供たちへ、大人ができることは居場所となることだと作家の落合恵子さんは語ります。何かあった時に頼れる場所があること、それだけで心が軽くなります。

テレビ静岡で9月22日に放送されたテレビ寺子屋では、作家で育児・保育雑誌を発行する落合恵子さんが、自分の居場所について語りました。

深呼吸できる自分の居場所

作家・落合恵子さん:
人は誰でも「居場所」が必要です。子供もお年寄りもその真ん中世代も、たくさんでなくてもいいけれど、何かあった時に隠れるところ、小さくなれるところ、深呼吸してもう一度立ち上がって歩き出すところ、居場所は大事です。

例えば子供たち。学校で否定されてしまったとき、家庭でも影響を受けてしまう場合が少なからずありますね。だとしたら第3の場所はどこですか? 4番目の居場所はどこなんですか? それを私たち大人は準備できますか?

いのちまでかけて、学校に行くことはない

崖っぷちに立つあなたは、どうか居場所を作ってください。ギリギリまで自分を追い詰めてしまった子供たちに、次のような言葉を伝えたいと思い書いたことがあります。

「学校が子どもの主たる居場所であったとき、いじめによって自分という存在を否定された子は、ほかに行く場はなくなる。“崖っぷちに立たされてしまったきみ”に何度でも伝えたい」。ちょっと乱暴な言い方ですよ。「いのちまでかけて、学校に行くことはない」と。

「ほとんどすべてのわたしたちは『いま』の中に生きている。その『いま』が屈辱的で耐えがたいとき、『明日』を夢見ることは、たやすいことではない。そのこともわかる。その難しいことを敢えてやってみないか」

「きみにはまだたくさんの『未体験』がある。『生きていてよかった』と全身の細胞が一斉に叫び出すような甘美で美しいものも、きみの『未体験』の中にはあるはずだ。それらすべてを味わうことなく、悲しく無念な『いま』の中で、きみは生き急いでしまうのか」。

大人ができること

いま、幼いお子さんや、10代の難しい年代と言われるお子さんがおられる方たち、あるいはその方たちのおじいちゃん、おばあちゃんに心からお願いします。

「いつだって君を見ているよ、しんどくなったらかけておいでよ、待ってるからね」と言える大人に私たちはなっているかどうか、考えてみましょう。

20歳の時、苦しくなかったですか。22の時、悩みませんでしたか。私は22歳で就職して、「なんか違ったところに来ちゃったな」と恐ればかりがいつもありましたが、そんな時、「いつだって帰っていいんだよ」という過去の記憶といまの居場所があってどれほど楽だったか。私にとっては母がそうでした。そんな大人でありたいと思います。

自分の居場所と出会うには

人はどこで、自分の居場所と出会うのか?

一つは、一生懸命生きている日々の中で、たくさんの思い出はできるはずです。その時、とても切ない思い出であっても、後になってみればそこに戻る思い出であることもあります。

そしてもう一つは、本屋さんという居場所でもいいし、おいしいものを食べる居場所だっていいし、あるいは大好きな木が一本ある丘の上の景色だっていいのです。自分の居場所を作っていきましょう。誰かが見つけてくるのではなく、自分で見つけていくことが大事ではないかなと思っています。

落合恵子:1945年栃木県生まれ。執筆活動と並行して、子供の本の専門店クレヨンハウスなどを展開。総合育児・保育雑誌「月間クーヨン」や、オーガニックマガジン「いいね」の発行人。

※この記事は9月22日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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