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【パリ五輪】日本柔道史上最年長メダリスト・ 橋本壮市 選手に激闘の舞台裏を聞く 地元・静岡で凱旋出演

橋本壮市 選手

パリ五輪・柔道の混合団体で銀、そして個人73キロ級で銅と2つのメダルを獲得した静岡県浜松市出身の橋本壮市 選手をお迎えして戦いの舞台裏を聞いていきます。

二つのメダルで地元に凱旋

銅メダルと銀メダル

-橋本選手、おめでとうございます、そして、おかえりなさい!メダリストとしての地元凱旋となりました。いまのお気持ちは?

橋本壮市 選手(パーク24所属):
そうですね、やっと帰ってこれたなという気持ちと応援ありがとうございましたという気持ちでいっぱいです

-胸には2つのメダルが輝いていますが、ずっしり重そうですね。橋本選手にはどのように映りますか?

橋本壮市 選手:
メダル自体も重いんです。

-ずっと掛けていると大変ですか?

橋本壮市 選手:
そうですね、結構肩がこります。

-橋本選手でも肩がこる重さ、他にもいろいろな重みが?

橋本壮市 選手:
そうですね、いろいろなものが詰まっているので

道場の後輩たち

感動のメダル獲得は日本時間の深夜でしたが地元・浜松では大勢の声援がパリへと送られていました。

-今回初めて地元で後輩たちが応援している姿をご覧になったということですが、どうでしたか?

橋本壮市 選手:
本当に同じ思いで戦ってくれていたんだなと思うと、やはりうれしいですね。

-後輩たちにとっても橋本選手という憧れの存在が先輩にいるというのはとても幸せなことだと思いますが、橋本選手にとって、道場の子どもたちはどんな存在ですか?

橋本壮市 選手:
昔の自分を見ているような気持ちです。本当に力になっています。(Q.橋本選手のように五輪を目指したいという声もあったが)嬉しいですね。あの素晴らしい場所を目指してもらいたい

-恩師の杉山さんからは試合前や試合後に何か連絡はありましたか?

橋本壮市 選手:
いえ、帰ってきた時に話すぐらいですね。もうフランスに入ってましたし、連絡はあまりとらないようにしてました

-試合後はどんな言葉を交わしましたか?

橋本壮市 選手:
17日に道場に挨拶しに行く予定なので、そこで話したいと思っています

-敗者復活戦を勝ち上がって、銅メダル。気持ちの切り替えは?

橋本壮市 選手:
自分自身、負けたということが受け入れられなかったです。少し時間はかかったが、いろいろな人の支え、応援、顔を思い浮かべてこのまま帰るわけにはいかないと思ったので、そこで(気持ちを)切り替えることができました

-コーチや監督とは話をしましたか?

橋本壮市 選手:
あまり話していません。自分の中で負けたということを受け入れて次に進まないといけないし、自分で切り替えました

-3位決定戦は開始数秒で技ありが決まりましたが、本当に速かったですよね

橋本壮市 選手:
早めに投げすぎたなと。投げたのは良いことなんですけど、早く投げすぎて残りの3分50秒くらいが地獄のように長かったです

-リードを奪ったあとの展開が難しかった?

橋本壮市 選手:
ここで逃げるではないけど、凌ごうと思ったらやはり良くないなと思ったので、もう1つポイントを取ろうとか、前向きなことを考えなくてはいけないと思い戦った

東京五輪落選を乗り越えて

橋本選手の略歴

ここで橋本選手について改めて紹介します。

橋本選手は現在32歳。浜松市の出身で地元の道場で柔道を始めると中学からは神奈川県の強豪・東海大相模や五輪金メダリスト吉田秀彦さんが総監督を務めるパーク24で腕を磨きました。

ここから山あり谷あり。

2017年の世界選手権を制して世界チャンピオンになりますが、東京五輪は落選。

それでも挫折を乗り越えて、32歳の2024年、史上最年長で挑んだパリ五輪でメダルを獲得しました。

橋本壮市 選手

-改めてここまでの道のりを振り返っていかがですか?

橋本壮市 選手:
一言でいうと、長かったなと

-その長さにはどんな思いが?

橋本壮市 選手:
これまで引退しようかと思ったこともあるし、今回の試合だけではなく今まで戦ってきた日本の同じ階級の選手もそうですが、ひとりひとりと闘ってきてここまで辿り着いて、ここまで長かったなと思います

-一番つらかった時期、諦めたくなる瞬間は?

橋本壮市 選手:
やはり東京五輪に落選した時は引退という文字が出てきましたね

-どのようにして立ちあがった?支えとなったのは?

橋本壮市 選手:
応援してくれた人がいたのと家族がいたのが大きいのかなと

-かけられて印象に残っている言葉は?

橋本壮市 選手:
いろんな人に「まだまだ諦めないで」「まだやれるぞ」と言われたことはまだ覚えてます

-ご家族の存在はいかがですか?

橋本壮市 選手:
本当に大きいです。力をもらえるし、現地でも2回戦入場のとき「パパ!」という声が聞こえて嬉しいし、力になった。「パパ頑張るぞ」と思いました

キャプテンとして臨んだ混合団体戦

橋本壮市 選手

-混合団体でも銀メダルを獲得され、キャプテンとして臨まれましたが混合団体の試合を振り返っていかがでしょうか

橋本壮市 選手:
フランスに勝って金メダルを日本に持ち帰りたいと思ったが負けてしまって…ただ、チーム一丸となって闘えたことはとてもよかった

-今回の柔道日本チームは橋本選手にとってどんな存在になりましたか?

橋本壮市 選手:
本当に良いチーム。ひとりひとりが明るくて良いチームです

-個性的な選手も多く、明るくて仲の良い感じが伝わってきました

橋本壮市 選手:
本当に仲良いんですよね。ずっと喋ってますよ。あれだけ人数がいたら1人くらい雰囲気変わってきたりすると思うんですけど、みんな明るくて、良い選手ばっかりで

-選手村でも一緒に?

橋本壮市 選手:
はい、ずっとみんな一緒にいました

記者会見の様子などからチームの雰囲気の良さが帰国後も垣間見えたような感じがしました。

オリンピックチームの解団式も終わりましたので、改めて橋本選手ご自身のこれからの活躍に期待しています。

ここまでパリ五輪で銀と銅、2つのメダルを獲得した橋本壮市 選手とお伝えしました。ありがとうございました!

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