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2023年の全国総体が、7月22日に北海道で開幕する。雪辱を胸に予選となる静岡県総体に挑んだ磐田東サッカー部は県ベスト8で敗退。全国大会への挑戦権を手にしながらピッチにすら立てなかったあの時から間もなく1年。指揮官の言葉とともに、磐田東のこの1年の軌跡に迫る。高校生活最後の1年で直面した残酷な現実。それでも戦い抜いた3年生たちはかけがえのない宝物を得た。
◆サッカーに勝ちコロナに負けた
「全国総体の出場辞退」。2022年7月24日、磐田東サッカー部が大会本部に申し出た。
前橋育英(群馬)との初戦を翌日に控えたチームで、1人の選手の新型コロナ陽性が判明し、大会規定に則り出場辞退となったのだ。
「サッカーに勝ちコロナに負けました」行き場のない悔しさをこう表現したのは、山田智章(としあき)監督(58)だ。
◆勝てなかったのは監督の責任
ジュビロ磐田とのフレンドリーマッチで大健闘を演じ、大きな自信を掴んだ磐田東は、その後の県Aリーグを7戦全勝で優勝を決め、最高の勢いで冬の選手権に向かおうとしていた。
決勝トーナメントからの出場となった県予選。初戦の相手は、同じ西部のライバル・浜名だった。ミーティングを終え、ロッカールームを出ていこうとした山田監督は、両手を軽く握りながら、こうつぶやいた。
「緊張するね」
夏の王者として、そしてプロ相手に堂々とした戦いを見せた者として、選手たちも同じ思いだったのだろうか。磐田東は浜名の2倍以上、13本のシュートを放ちゴールに迫るものの、全体的に硬さが目立ちチャンスを活かせず、スコアレスで90分を終えた。そして延長戦で痛恨の失点…。夏のリベンジをかけて挑んだ冬は、ベスト16で幕を閉じた。
山田監督:
私自身は夏の県チャンピオンであるという重圧を少なからず感じていた。このチームは決して常勝軍団ではない。すごく有能な選手の集まりでもないので、その日その日のコンディションや運、戦い方によっては勝敗を大きく左右するチームだった。そういう重圧をすごく感じながらの試合だったんですけど、今となって考えれば多分 彼らも同じ重圧を感じながらやったと思う。その中で勝たせてあげられなかったのは監督の責任
山田監督自身、この試合の9日前に父親を亡くし、夏冬連覇への重圧だけでなく、様々な困難と立ち向かいながらの選手権だった。それでも敗軍の将としての責任を一身に背負い、勝負の世界で最後まで堂々と戦い抜いた選手たちを讃えていた。
◆もっと貪欲にサッカーを
冬の全国への道は断たれたものの、県Aリーグで優勝を果たし、2023年のプリンスリーグ参入戦への出場権を得た磐田東。プリンスリーグ東海への昇格は、3年生に課せられた最後のタスクだった。
トーナメント方式で2連勝すれば昇格が決まる参入戦。PK戦の末、初戦を突破し、迎えた2022年12月11日。三重県リーグを2位で通過した海星との一戦は、前半にミスから失点し、後半にも追加点を奪われ、0-2で敗戦。2022年の3年生は、全国出場、プリンスリーグ昇格の2つの目標に、本当にあと一歩、いや、あと半歩、届かなかった。
3年生の涙を、この経験を次に活かさなければ意味がない。最後のミーティングで、山田監督はあえて厳しい言葉をチームに投げかけた。
山田監督:
今年1年よくやったと思う。でも、ここまでなんだよ。ということはそれ以上のことをやらないと、この上には絶対行けないんだよ。間違いなく行けない。それをやるのは1年生と2年生だよ。これ以上のもっともっと努力をしない限り、ここから先の結果がついてこないことが証明されたんだよ。本当に悔しいと思ってるのが、きょうのピッチに立ったやつだけだったらこのチームは強くならないよ。もう一回自分を見つめ直して、チームを見つめ直して、スタッフも甘いよ、俺から言わせれば。もっとやらせなくちゃいけないし、もっとやらなくちゃいけないし、もっと勉強しなきゃいけない、俺も含めて。もっと貪欲にサッカーと向き合わなきゃいけない。そうしないと上はない、先はない、未来はない
◆3年生に感謝したい
150人を超える部員を預かる顧問として、全国を目指すチームを率いる指揮官として、2022年のチーム、そして3年生には、素晴らしい景色を見せてくれたことへの感謝も口にする。
山田監督:
今年のチームはコロナのことがあったので、いろいろな経験をしたと思う。でもこういう経験は必ず彼らの今後の長い人生に役に立つ。自分のためにもなるし、人のために何かしてあげたいというような感覚を持てる経験をしたのではないか。全国の舞台に立ちたいとか目指すものがあって頑張る、その手伝いができるという意味では指導者をやっていて毎日充実した日々が送れているので、逆に子供たちに感謝したい。結果がどうあれ彼らがやってきたことに間違いはないし、試合に出ていた3年生だけではなくて3年間やり通してくれた選手も同じように頑張ってくれたので、月並みな言葉だがお疲れ様と声をかけたい
港聖頼(みなと・せら)主将(当時3年)は、新型コロナを乗り越え、ともに戦ってきた仲間たちとの絆を「宝」だと話した。サッカーでの目標には届かなくても、選手たちがかけがえのない「宝」を手に入れたことは、山田監督にとっては、あるいは勝利以上に喜ばしいことだったに違いない。
<山田智章(やまだ・としあき)監督>
1964年12月17日生 旧清水市(現静岡市清水区)出身
選手歴:清水三中→清水商高→本田技研→PJMフューチャーズ ポジション:GK
磐田東で教員生活31年目(地歴公民科)・監督生活23年目(2023年現在)
2005年・2022年に監督として県総体優勝、全国総体出場(2022年は辞退)