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静岡市の中心地「伝馬町」。その名前の由来を調べてみると、江戸の宿場町の歴史が見えてきます。さらには日本の歴史を大きく左右する「江戸城無血開城」への道筋が決まった激熱スポットだったのです。
【画像】石碑の説明書きも読める! この記事のギャラリーページへペガサスの名前を持つビルがある
2026年は丙午(ひのえうま)。エネルギーに満ちた年とされ、新しい事への挑戦などが吉と言われています。そこでパワースポットになるであろう、馬にまつわる地名をリサーチすることにしました。

静岡市の中心市街地にある「伝馬町」。江戸時代の旧東海道の宿場町「府中宿」です。
江川町交差点から東へ延びていく伝馬町通りをにむらあつとリポーターが歩きながら、歴史を探ります。
まず目に留まったのは住居や図書館、そして飲食店も入る複合ビル「ペガサート」です。

「ペガサート」という名称はどうついたのか。伝馬町の「伝」の漢字を、天使の「天」に変えて「天馬=ペガサス」に。隣り合う御幸町の「幸せ」=「ハート」。ペガサスとハートを組み合わせた造語だそうです。
ペガサートも2026年はパワースポットになるかもしれません。

江戸城「無血開城」への舞台だった
通りを進むと、石碑が目に入ってきました。
「西郷山岡会見之史跡」と刻まれた石碑です。
東征軍の参謀・西郷隆盛と幕臣・山岡鉄舟の会談が、伝馬町にあった松崎屋源兵衛宅で行われたそうです。

明治維新に向けた江戸城の無血開城へのやり取りが行われた場所であり、日本の運命を左右した歴史的な出来事の舞台が、実はこの伝馬町だったのです。

府中宿として栄えた町
伝馬町通りは旧東海道です。この伝馬町通りを歩けば日本の歴史をたどることができます。さらに東に進みましょう。
けやきプラザがある伝馬町西のスクランブル交差点を渡って、伝馬町通りの南側を進みます。

伝馬町の由来について書かれた石碑を発見しました。そこには次のように記されていました。
「伝馬町の歴史は慶長14年(1609年)、家康公が駿府を町割して東海道五十三次の宿と定めたことに始まる。本陣・脇本陣・問屋などが置かれ、旅宿・商家が軒を連ね、街道を往来する大名行列や旅人により賑わいを呈した」。

東海道五十三次の19番目の宿場「府中宿」として栄えた現在の静岡市中心地。家康公のお膝元として当時は大変賑わっていたようです。
馬と荷物を検査した役所
宿場町ということは、当時の大名たちの移動手段が馬であったため、馬がたくさん預けられる場所だったのではないかという推測が立ってきます。
さらに進むと、反対車線にも案内板がありました。上伝馬本陣・脇本陣跡の「貫目改所(かんめあらためしょ)」という場所の説明があります。

貫目改所とは、街道を往来する荷物の重量を検査するために幕府が東海道に置いた機関で、東海道では江戸に近い品川、京都に近い草津、そして中間の府中の三宿だけに設置されていました。
当時は担ぐ荷物の重さに制限があって、その定め以上のものに対しては、割り増し金を取っていたそうです。
ここ伝馬町には、そんな馬や人が運ぶ荷物の重量を検査する役所「貫目改所」があったのです。

ここに「馬」が出てきました。参勤交代だけでなく書状や商業貨物の輸送などにも使われていた馬。役割で「伝馬」と「駄馬」とがあったそうで、伝馬は公儀用の馬でした。伝馬町の由来に近づいてきました!
100年続く駄菓子店で聞いた地名の由来
地元の方に話を聞くため、伝馬町通りに店を構える駄菓子店「あまのや繁田商店」を訪ねました。店内にはずらっと子供が喜びそうなお菓子が並んでいます。

昭和元年創業、2025年がちょうど100年目となった歴史ある店です。
あまのや繁田商店・繁田昌大 代表:
伝馬町の由来はよく上の人たちから聞いております。地方の大名が江戸に参勤交代で長い旅をするわけですけど、小さい班だと20~30頭の馬と人、大きな班だと100頭規模です。人は江戸まで行きますが、馬は疲れるので宿場町ごと交代させるんですね
伝馬は幕府公用の馬。参勤交代の馬が待機している場所だったため、伝馬という名前になったといいます。

江戸幕府の命を受け、人や馬の継ぎ変え作業を行う「問屋場(といやば)」や、先ほど出てきた「貫目改所」、さらにそこに従事する人達が住んでいたことから「伝馬町」という地名になったと言われているのです。
2026年はうま年、新しい挑戦や物事がうまく運ぶ幸運な年と言われています。そんな年にふさわしいパワースポットが、江戸の歴史が息づく伝馬町です。
地名を調べれば歴史がわかる! 伝馬町には日本の歴史がギュッと詰まっていました。
■スポット名 西郷山岡会見之史跡
■住所 静岡市葵区御幸町3ー21地先
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