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静岡市葵区にある「大鋸町」。「大きなのこぎり」と書くこの地名は、静岡市民でもなかなか読めません。また読み方を聞いた後も「なぜ?」となります。由来は徳川家康の時代に隠されていました。
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サッカーコート3面分の小さな町
大鋸町は駿府城公園から南西へ約1kmの場所に位置する歴史ある町。街中に近いものの静かで、昔ながらの住宅や寺がある地域です。
さっそくですが、読み方は「おおがまち」です。
「鋸」の読み方である「のこぎり・のこ・キョ」からは想像できない町名ではありませんか。

どうして「おおが」と読むのでしょうか。
大鋸町の調査を始めると、意外に狭いことに気づきました。少し歩くと、すぐに隣の町に入ってしまうのです。

確認すると、大鋸町はサッカーコート約3面分という非常に狭いエリアであることが判明しました。
隣接する地域は「大工町(だいくちょう)」。のこぎりと大工、なにやら関連がありそうです。

元は「上大工町(かみだいくちょう)」と呼ばれていた大工町。町名碑には「駿府城の南西に位置し、古くから大工が集住していたことに由来する地名です」と記されています。
つまり、そのままの意味で大工がたくさん住んでいた町だったのです。

だとすると大鋸町は、「大工が使うのこぎりなどの道具を作っていた町」ではないかと推理されますが、果たして正解なのでしょうか?
木挽き職人が住む町だった
さらに町を歩いていると、「仲安大工道具店」という名前のお店を発見しました。
町名に関する情報を聞けるかもしれないと、さっそく店内へ。

大鋸町の名前の由来を知っていますか?
仲安大工道具店・仲安昭人さん:
元々大工町は、駿府城を建てる時に集められた大工さんたちが住んでいて、大鋸町は材木を作る木挽き職人たちが住んでいた町と聞いています

つまり大鋸町の由来は、大きなのこぎりを使って丸太を材木に加工する木挽き職人が住んでいたからだったのです。
駿府城周辺には「駿府九十六ヶ町」という徳川家康によって整備された町並みに由来する地名が残っています。
大鋸町や大工町もそのひとつ。

職人たちが集まって暮らす小さな町がたくさんあったため、静岡には今でも数多くの伝統工芸が残っているのです。
職人が使う「大きな鋸」が登場
店には職人たちが使っていた大きなのこぎりも残っていました。
とても重くて持つだけでも大変。この道具を使って作業するには相当な力が必要だったことが想像できます。

大きな木を切るために歯も荒く、ざくざくと切り込めるようになっています。
ここで大森アナがピンときました。
テレビ静岡・大森万梨乃アナウンサー:
これが「大鋸(おおが)」という道具なのではないですか?

しかし、仲安さんは「おおがとは呼んでいない」と言います。普段は「木挽きのこぎり」と呼んでいるそうです。
なぜ「大きなのこぎり」と書いて「おおが」と読むのか?
さらに地元の人に話を聞いて調査を進めることにしました。
大鋸と書いてなぜ「おおが」?

ここならばと期待して大森アナが訪れたのは、1586年創建で徳川家康ともゆかりある「松平 西福寺(まつだいら さいふくじ)」。
川村良元住職が、読み方の由来を知っていました。
松平 西福寺・川村良元さん:
「大鋸」と書いて「おが」と言うんです

「大鋸(おが)」は職人の使うのこぎり。
住職によると木挽き職人の町なので、最初は鋸の呼び名をとって「おがまち」と呼ばれていたそうです。

それが次第になまって「おおがまち」になったのではないか、と言われているそうです。
ちなみに木材を加工する時に出る「おがくず」も、漢字で書くと「大鋸屑」と書くのだそうです。

静岡の職人の歴史が刻まれた地名「大鋸町」。
サッカーコート3面分の小さな町に秘められた歴史の断片を知ることで、街歩きがより一層楽しくなりそうです。
■スポット名 松平 西福寺
■住所 静岡市葵区大鋸町4-8
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