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シンクロナイズドスイミングでオリンピック3大会に出場し、銀・銅合わせて5つのメダルを獲得した武田美保さん。1つとして同じ意味を持つメダルはなかったそうです。挑戦を続け壁を破った結果たどりついたのが、悔いのない銀メダルでした。
テレビ静岡で9月1日に放送されたテレビ寺子屋では、五輪で5つのメダルを獲得した武田美保さんが、3大会に出場し続けて得られた境地について語りました。
意味の違う5つのメダル
スポーツ 教育コメンテーター・武田美保さん:
シンクロナイズドスイミング、今はアーティスティックスイミングと呼んでいる競技を21年間続け、3つのオリンピックに出場しました。井村雅代先生に指導をいただき、5つのメダルを獲得することができたのですが、私にとってそれぞれ意味合いが違うものとなりました。
小学生の頃からの夢だったオリンピックに初めて出場が叶ったのが20歳の時、アトランタです。ただ、この大会は映像も見たくないぐらい後悔の残るものとなりました。
達成感がなかった初のメダル
代表メンバーに選ばれることが第一目標となり、全勢力を注いで選抜されたものの、目標が心の中でプチッと途切れてしまいました。いよいよ本番に向けての強化合宿というその時に、気持ちを奮い立たせようとしても燃えないのです。
自分がやりたい演技すら描けずオリンピックを終えました。
銅メダリストになったものの、何の手応えも掴んでいないし達成感もない。
「強い思いのあるその場所で、どういう努力が実ったのか、その時に得られる気持ちを知りたい。答え合わせをするにはあと4年続けなければならない」と思い、もう一度オリンピックを目指すことになりました。
ミスの後悔が残った銀メダル
そして、2度目のオリンピック、シドニーに向かいます。
私の中でも覚悟を決めていたので、事前の練習でどんどん調子を上げていき、「早くオリンピックで演技を見せたい」と思うほどでした。
チームの演技が終わった瞬間に、本当にいい演技以外褒めない井村先生が「大まる」を出してくださり、「これを待っていた!」と思ったのですが、私はもう一回オリンピックに出ています。
なぜかというと、チームの他にもうひとつ、立花実哉さんと出場したデュエット競技で、足と足がぶつかるというミスをしてしまったからです。
チーム、デュエット共に銀メダルを獲得しましたが、とても後悔が残りました。
ミスの原因を作ったのは完全に自分の心だと思い、「しっかりと返上したい、やる価値がある」と考え、さらに選手を続行しました。
継続によって越えられた壁
4年後、3大会目のアテネオリンピックを迎えます。
前回悔いが残ったデュエット、これに関しては「もう一度自分を信じよう」と思って、取り組みました。
「これ以上選手としての伸びしろがない」というところまで追い詰められていましたが、ずっと考え続けて何か工夫をすると、間違ったところを叩いていたとしても壁は破れるんですね。経路は違ったかもしれませんが、越えることはできた手応えが最後の最後、アテネオリンピックでありました。
練習の成果そのままに出すことができ、銀メダルを獲得しました。シドニーと同じ銀メダルでしたが、本当に輝いて見えました。
演技後に井村先生に「あなたのコーチをやれて本当に面白かった」と最高の褒め言葉をいただき、今があります。
子供の頃の夢は一回目のアトランタオリンピックで叶いました。でも、3つの大会を通じてでないと、私はこの境地には到底たどり着くことはなかっただろうと思っています。
武田美保:1976年京都府生まれ。7歳でシンクロを始める。日本選手権7連覇、2001年の世界水泳で金。五輪に3度出場し、銀・銅5つのメダルを獲得。現在は三重県を拠点に指導者としても活動。
※この記事は9月1日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。
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