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静岡・伊豆半島の南にある下田市。ペリーゆかりの深い歴史がある「了仙寺(りょうせんじ)」を訪ねました。ジャスミンの花が咲き誇ることでも有名ですが、今回は江戸時代に描かれた衝撃の絵巻物を見ることができました。
【画像】サル? 赤い肌? 想像で描かれた約300年前の外国人 この記事のギャラリーページへペリーロードが行きつく先は了仙寺
山と海に囲まれた異国情緒あふれる港町・下田を散策です。下田は黒船に乗ったペリーが来訪し、日本で最初に開国した場所です。

ペリーにちなんで、港から続く川沿いの石畳の道には「ペリーロード」の名前が付けられています。
ペリーロードを西へ進むと、石畳の参道と重厚な山門を持つ寺院が姿を現しました。

標識には「了仙寺」の文字。境内に入ると、住職がペリーロードにまつわる意外な事実を教えてくれました。
了仙寺・松井大英 住職:
ペリーが上陸してこの本堂で条約の交渉をずっとやっていましたから、通っていた道ということでペリーロードという名前が付いています。正確に言うと、寺の中がペリーロードの起点なんです

了仙寺から港へと続くペリーロードは実際にペリーが歩いた道です。
日米和親条約の交渉は横浜で始まり、大まかなところは神奈川条約として締結されました。さらに下田に来て詳細をすべて決めることに。了仙寺はペリー一行の応接所を兼ねた幕府との交渉場所となり、最終的に下田条約にサインをして終了します。
本堂には「開国殿」という額が掲げられていました。

了仙寺・松井大英 住職:
右から読むと、開く、国の、殿。開国された場所という名前がこの本堂についています。ここはアメリカとは今でも特種な関係にあるお寺です
ペリーの孫が入れ替わり立ち替わり
寺の歴史は江戸時代初期にさかのぼります。
もともとこの地には「船番所」があり、江戸に入る船をすべて調べる役割を担っていました。その船番所の付属施設として幕府が建てたのが了仙寺で、歴代の将軍から領地をもらって運営されてきたお寺です。

了仙寺・松井大英 住職:
いろんな人がくる時にゲストハウスとして使うのが、ここのお寺の役割だったんですね
こうした寺の成り立ちが、ペリーとの交渉の場として選ばれた理由にもつながっています。
現在もその縁は続いており、ペリーの子孫たちが入れ替わり立ち替わり訪れるといいます。2004年のペリー来航150周年には、直系の子孫23人がここに集まったそうです。住職がペリーの子孫と個人的な交流を持つほど、今も日米の特別な絆が息づいているお寺です。

「ペリー寺」と呼んでもいいぐらい、ペリーとの結びつきが強い場所でした。
「ジャスミン寺」と呼ばれる理由
了仙寺のもう一つの顔は「ジャスミン寺」です。
境内の参道に沿って立ち並ぶ木々。これがすべて「アメリカジャスミン(日本名:匂蕃茉莉)」です。毎年5月中旬に満開を迎え、「ジャスミン寺」としても多くの観光客が訪れます。

現在の株数は約800株。かつては1000株を超えたこともありましたが、今は適度に間引かれた状態で維持されています。その管理をすべて住職自ら行っているというのも驚きです。
了仙寺・松井大英 住職:
50数年前に先代の住職が一鉢いただいて、それをこまめに一つ一つ増やして、植え替えをしたりして増やしてきました。まず鉢で大きくして、それから地植えをしています

花は最初に紫色で咲き、1週間ほどかけて白へと変わっていきます。境内全体を見渡すと、紫・白・薄紫が混在し、香りも圧巻。住職が言うには「境内は数百本の香水を撒いたような状態になる。花の香りに弱い方は入ってこれない」そうです。

通りを隔ててもその香りが漂ってくるほどで、町の人たちにとってはジャスミンの開花が5月の風物詩となっているそうです。
衝撃の絵巻 外国人が半魚人?!「情報がないとこうなる」
了仙寺のもう一つの見どころは、開国関連の資料です。
了仙寺は現在2800点以上の外国関連の資料を収蔵していて、その資料は隣接する「黒船ミュージアム」で公開されています。

収集している資料のテーマは「日本人が外国をどう見て、外国が日本をどう見たか」。
今回は特別に本堂の中で、住職が貴重な絵巻物を見せてくれました。

1点目は、今から約230年前に長崎で描かれた絵巻物。実際に外国人を見たことのある絵師が、明・清・朝鮮からヨーロッパ各国まで各地の人々を描いたものです。
良質な顔料を使った鮮やかな色彩で、オランダやペルシャの人物もそれぞれの民族衣装の特徴をしっかりと捉えており、「知っているとここまで描ける」ことを示す資料です。

一方、2点目は知らないとどうなってしまうかを示した資料です。
それは約300年前に描かれた絵巻物。外国人が半魚人のような姿で描かれたり、猿のような体毛に覆われ尻尾があったり、手が何本もあったり。もはや人間の姿をとどめていない「何か」が次々と現れます。

了仙寺・松井大英 住職:
想像で描いているので人間になっていない場合もあります。情報をどれだけ知っているかによってこれだけ差があるということですね
了仙寺には170数年前、ペリーが来航している最中に下田で描かれた絵巻物もあります。

たらいで洗濯をする外国人が描かれています。当時、街中も外国人に開放されていたので、下田の人にとっては外国人がすぐ隣にいました。
また、コートを着たペリー本人の姿も描かれています。

写真機を使って撮影するアメリカ人と、撮影される着物姿の日本人の絵もありました。
了仙寺・松井大英 住職:
撮影されている人の着物の合わせを見てください。左右が逆(右が上)になっており、刀も左右逆に差しています。これは「死に装束」と同じ状態ですが、当時の写真は左右が逆に写るので、それならば最初から逆にしておけばいいと、こうなったんです

しかし「棺おけに入るときの格好」になるのが嫌で、当時の人たちは写真に写ることを嫌がったそうです。住職によるとこれが“写真を撮られると命が危ない”と考えられていた第1の理由だったそうです。
了仙寺・松井大英 住職:
横浜を異文化交流の街とすると、下田はどちらかというとカルチャーショックの街なんです。下田ではそれだけアメリカ人と日本人が近かったということです

まず互いの文化の違いに驚き、戸惑い、それでも近づいていった場所。了仙寺はその最前線に立っていたお寺でした。
■スポット名 了仙寺
■住所 静岡県下田市三丁目12-12
■問合せ 0558-22-0657
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