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【全文】「衝突する2~3秒前から気を失ったと思います」小学生4人死傷の交通事故で運転していた高齢男性が取材応じる 前日には遺族に初めて謝罪 「車はもう一切運転しません」

男性が運転していた軽トラック

2025年3月に浜松市中央区舘山寺町で小学生4人に軽トラックが突っ込み、当時2年生の女児が死亡したほか、3人が重軽傷を負った事故で、運転していた高齢男性(78)が5月5日朝、報道陣の取材に応じました。

男性をめぐっては過失運転致死傷容疑で送検されましたが、検察が処分保留で釈放していて、在宅捜査が続いています。

男性は4日に事故後初めて女児の自宅を訪ね、遺族に謝罪していて、質疑応答は以下の通りです。

「車はもう一切運転しません」

この度は、大変なことをしてしまい大変申し訳なく思っております。今後いかなることでも自分のことと深く反省にしながら一生をかけて償っていきたいと思います。亡くなられた女児(当時8)には本当に申し訳なく思います。(女児の)お姉様にもケガをさせてしまい、あるいはご家族、ご親族にもご心配をかけて申し訳ございませんでした。

出来ることはなかなかすぐには頭に浮かびませんが、1つ1つを思い起こしながらやっていきたいと思います。申し訳ございませんでした。

-遺族に謝罪に行ったのが5月4日というタイミングだった理由は
(事故のあと)2週間勾留されていて、4月14日に釈放されたが、いろいろ報道されていたので気をつけて行動するようにということで、1週間は親戚の家に泊まって家に帰り、(自身の農業)ハウスとの往復をたまにするくらいで、あとは出ませんでした。そういう時間を過ごしながらの3週間だったというような具合です。

-遺族にはどのような言葉で謝罪を伝えたのか
謝るしかなく、今はいろいろ考えても、なかなか受け入れてもらえるような状態ではなかったので、一生をかけて何とか償っていくしかないと考えています。

-謝罪に訪れた際に遺族の姿はどのように映ったか
言葉1つ1つが理解できない、納得できないというお叱りの言葉は何度かいただきました。ご遺族の立場を考えれば、その通りだと深く思いまして1つ1つ噛みしめてきた次第です。何が出来るのかはこれから一生かけて償っていくつもりであります。

免許証も返納するつもりですので、車はもう一切運転しません。

「衝突する2~3秒前から気を失ったと思います」

-遺族には事故の際に気を失ったと説明されたということだが
覚えている限りはカーブを曲がって現場に行く少し手前、いま思い起こせば事故現場の20~30メートル手前から前を走っていた小学生の自転車を全然思い出せません。

衝突する2~3秒前から気を失ったと思います。

それで衝突して5メートルくらい引っ張りながら石塀にぶつかり、なお少し走ったのではないかと思います、トラックの下に自転車を巻き込みながら。

止まったところですぐに目を覚ましました。その時は胸を片一方(の手で)押さえて、片一方でハンドルを持った感じで目を覚ましたと思います。

すぐに降りて、(女児が)トラックの下にいるのがわかったので、近くにいた3~4人と一緒に持ち上げて助けようとしたけれど上がらなくて、もう少し近くにいた男の人を含めて5~6人で上げたような記憶を少し覚えています。

それで、たぶん救出してから救急車で行ったのではないかと思います。

-事故直後に思ったことは
大変なことをしてしまったということは頭に思い浮かびましたけれど、小学生が前を走っているという記憶がないので、どこから気を失ったか…たぶん20~30キロで走っている10~20メートル前だと思います。

過去3年間に複数の事故

-事故の数週間前にも物損事故を起こしたと聞いたが、もう運転は止めようと思わなかったか
本来考えればそれが当たり前の常識なことかもしれませんが、3月上旬に起こした事故は四つ辻で10センチくらいの太い根っこに当たったように記憶しています。

当たってすぐに停まりかけた途端にちょっと目がくらんで、何かおかしいと思ったら、もう少しかすっていまして、降りたら自分の車に少し傷がついて、へこんでいた。その程度だったので、修理屋さんへ行って、すぐ直してもらいました。自分の中で隠してしまいました。

それが今回の事故の数週間前の出来事です。

-それは家族にも伝えなかった?
伝えませんでした。

-これまでに事故は何回かしているか
3年前に十字路の交差点で、左折する車が止まったものの気づくのが遅れて相手の右後ろと自分の車のトラックの左前がへこむ接触を起こしたのは事実です。それは今回の事故の原因というか動悸とめまいとは関係ありません。私の前方不注意だと思います。

-これまで事故があった中で家族には相談していたか
3年前の事故と3月上旬の事故は言っていませんでした。

-何で言わなかったのか
自分の考えで黙ってしまって、“こすい”というか、知られて乗れなくなると仕事にもいろいろ差し支えると思って、ついつい事故の度合いからしてだまってしまいました。

「自分で都合のいいように判断してしまった」

-高齢ドライバーの社会問題化する中で、ニュース等を見て不安を感じたことは
それは多少ありました。事故の度合いによって自分で都合のいいように判断してしまったのが現実です。

-仮定の話にはなるが振り返ってどうすれば良かったと思うか
毎年、年に1回人間ドックは受けている。通院に関しては1カ月に一度くらい同じ医師に通い、朝昼晩、いくつかの病気の薬も飲んでいるので、その中で何か見つかればいいかなという程度で過ごしていました。

「たら」「れば」になりますけれど、3月上旬に起こした事故の時にもう少し慎重に行うべきだったといまつくづく思います、本当に。亡くなられた女児には申し訳なく思っています。

どんな言葉で言っても、返す言葉はありませんが今後一生をかけて、運転は出来なくともやれることを良く考えて償っていきたいと思います。

-現場で手を合わせたことは?
4日も女児の父親にそういうことを言われましたけれど…4月14日までは自由がきかなかったものですから、そういうことは考えていても行動に移せませんでしたけれども、少しずつどうすればいいのか、通夜の席や女児の自宅を訪問することはなかったんですけれど、頭の中には一部残っていましたので今後家族と相談して、出来る範囲でやれることは一生続けたいと思います。

-手を合わせたいと思ってはいた?
それは頭に少しはありました。

-あったけれど行動には移せていなかった?
4日に女児の自宅に行って、5日からまず現場へ行って、毎日手を合わせることをしようと、きょうが始まりです。

「一時的ではなく生きている限り…」

-報道陣の取材に応じた理由
釈放された時もなるべく避けていましたけれども、公の前に出て自分のしたことをしっかり噛みしめて、こういうことをしてしまったとみなさんに知ってもらったうえで、一生償っていくことの方が大事だと。

どういう報道をされても、してしまったことは取り返しがつかないので、何とか自分たちの誠心誠意の態度・気持ちを一部でもわかってもらえるようにこれから償いをしていくつもりです。

-償いとして考えていることは
女児の父からは女児を返してほしいという言葉を頂きましたので、真摯に受け止めて賠償の形や仕方を今後、一時的ではなくて、生きている限り出来ることを考えてやっていきたいと考えております。

-謝罪が遅くなったと思うことは
自分たちは流れの中で何とかやっているかなという気も少しはありますけれど、遺族からすれば何で1カ月も経って、1回も顔を見せなかったのかというお叱りの言葉も頂き、ごもっともだと感じましたので、今後、それを補うようなことを何とかやっていきたいと今はそういう気持ちでいっぱいです。

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