目次
今から58年前、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で4人が死亡した強盗殺人放火事件、いわゆる袴田事件のやり直しの裁判で、9月26日午後2時から静岡地裁で判決公判が始まりました。
1980年に死刑が確定…第一次再審請求は認められず
この事件は1966年6月30日未明、当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅で火事があり、焼け跡から多数の刺し傷がある一家4人の他殺体が見つかったほか、多額の現金などが盗まれていたもので、警察は事件から49日後に味噌工場の従業員で現場近くの寮に住んでいた袴田巖さんを逮捕。
警察による取り調べは苛烈を極め、心身ともに限界に達した袴田さんは逮捕から19日後に犯行を”自白”しましたが有力な証拠はなく、裁判では一貫して無罪を主張しました。
しかし、事件から1年2カ月後に味噌樽の中から大量の血痕の付着した衣類5点が見つかり、袴田さんは「自分のものではない」と訴えましたが静岡地裁はこれを決定的な証拠として死刑を言い渡し、その後、控訴も上告も棄却されたため1980年に死刑が確定。
弁護団は自白が強要されたものであることなどを理由に裁判のやり直しを求めますが、静岡地裁、東京高裁、最高裁のいずれも請求を認めませんでした。
紆余曲折あった第二次再審請求
ただ、2008年に再び裁判のやり直しを請求すると、これまで表に出てこなかった検察側の証拠 約600点が開示されたほか、“5点の衣類”に付着した血痕のDNAが、被害者のものとも袴田さんのものとも確認できなかったことなどから、静岡地裁が2014年に再審開始を決定します。
この決定は東京高裁によって一度は取り消されましたが、最高裁が「審理を尽くさなかった」として差し戻すと、2023年3月になって裁判のやり直しが認められ、検察側が特別抗告を断念したため再審開始が確定しました。
再審の判決公判始まる
そして、同年10月から始まった再審公判。
これまでに計15回の審理が行われていて、9月26日午後2時から静岡地裁で判決公判が始まり、國井恒志 裁判長は無罪を言い渡しました。
主文を聞いていた姉・ひで子さんは「無罪」の2文字を聞くと小さくお辞儀し、傍聴席から拍手があがりました。
今回の判決では、弁護団が「捏造」と主張する”5点の衣類”について、裁判所がどの程度踏み込むのか注目されています。
日本の司法制度において死刑判決が確定した事件をめぐる再審は過去に4例しかなく、いずれも無罪判決が言い渡されています。