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袴田事件の再審判決迫る…運命の日を前に袴田巖さんの姉・ひで子さん「ごくごく平常心。待ってるだけ」

取材に応じる袴田巖さんの姉・ひで子さん(9月24日午後4時過ぎ)

1966年に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で4人が死亡した強盗殺人放火事件、いわゆる袴田事件のやり直しの裁判で、9月26日に判決が言い渡されるのを前に袴田巖さんの姉・ひで子さんが共同取材に応じ、「ごくごく平常心。待ってるだけ」と現在の心境を述べました。

1980年に袴田巌さんの死刑が確定も

1966年6月に当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅で起きた一家4人強盗殺人放火事件をめぐっては、味噌工場の従業員だった袴田巖さん(88)が逮捕され、1980年11月に死刑が確定しました。

ただ、第二次再審請求で東京高裁は2023年3月、裁判のやり直しを認め、検察側が特別抗告を断念したため、同年10月からは再審公判が始まっていて、弁護側が無罪を主張する一方、検察側はあくまでも死刑を求めています。

再審判決を前に巖さんの姉・ひで子さんは

再審の判決は9月26日に静岡地裁で言い渡されることになっていて、運命の日を2日後に控えた24日、巖さんの姉・ひで子さんが報道陣の共同取材に応じました。

この中で、現在の心境について「58年闘っていますから、ごくごく平常心でございます。普段と変わらない。裁判だからどうこうって思ったってしょうがない。もう答えが出ているでしょうから。だから、待っているだけ」と述べたひで子さん。

その上で「裁判長がなんとおっしゃるのか、それを聞きます。どういう結果になるのか、説明をしっかり聞いてきます。もちろん無罪判決を望んでいます。だけど、裁判ですから決定を聞いてみないとわかりませんから、今は何とも言えません」と話しています。

また、巖さんが逮捕されてからの今日に至るまでの58年間については「長い間闘ったことに違いはないが、40何年は見えないものと闘っていた。だから、闘っていたのか、闘っていないのかわからなかった。だから日数等はあまり意識しない。もちろん58年といえば今考えれば長いが、私は長いと思っていない」と振り返りました。

巖さんは長年拘置された影響で拘禁症の症状が残り、今も精神が不安定な状態ですが、ひで子さんによれば、釈放から10年が経過し「ちょっと明るくなって、ちょっと言葉も出るようになった。『ネコにエサをあげてくれ』とか言うようになった」ということです。

一方、最近は足腰が弱くなっているようで「ヨタヨタしていて、やっぱり歳なんですね。(拘置所に)長くいたから老いも早く来るのかなと思っています」と話しました。

望むのは無罪判決ただひとつ。

弟・巖さんに対しては「過去のことを言っても始まらない。これからのことが大事だと思っている。死刑囚でなくなることが一番大きい。今でも街中を歩いていますが、それでも死刑囚なんです。だけれど、死刑囚でなくなって街中を歩くのはまた違うと思う」と慮りました。

冤罪か?死刑か?再審の判決公判は9月26日午後2時に開廷します。

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